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〜Gibson J-45を入手した,2011年12月30日のことを忘れない…〜

OHORI123の”突然ですが,書いてみます!!” 第三回を,またまたまたw,いきなり刊行しようということで,2020年6月14日以来,約1ヶ月ぶりですね!!(これは定期化できる勢いか!?)通例の如く,どこまで継続できるか,わかりませんが…気まぐれに,気ままに,音楽を中心に,思ったことを記していけたらと思います^^

さてさて,今回は,これまた以前からOHORI123のYouTube Channel内に公開している動画やLIVE配信に於いても言及していることなのですが,改めて文にしてみようということで,”OHORI123が,初めてGibsonのアコギを入手した時の事”を振り返りたいと思います!

〜Gibson J-45を入手した,2011年12月30日のことを忘れない…〜

思えば,Gibsonのアコギに魅了されて,20年近く経ちました。僕にとってのGibsonのアコギ・ヒーローは,J-160Eを使用していた,The Beatles時代のJohn Lennonであり,J-45やJ-200,J-50,DOVE,Hummingbird等を使用している,長渕剛さんであり,J-50を使用していたBob Dylanであり…国内外問わず,枚挙にいとまがありません。

今でこそ,前述したアーティストが,どんな機種を使用しているかということはすぐにスラスラと言えるものですが,アコギを始めたばかり,あるいは始めて数年が経過した小中学生期は,そんなことなんてまだまだわからなかったわけです…でも,彼らの音楽で耳にするアコースティック・ギターの音は,どこかガツガツしていて,でも心地が良い…自分が今まで弾いているYAMAHA(これもなかなかに綺麗な音で本当に素晴らしいのですが。)等とは,全く違うものだということは,なんとなく気付いていました。”どんなメーカーのアコギを使っているのだろうか…”と思い,文献から写真からネットから,とにかく漁って調べた日々を思い出します。

調べていくうちに,”どうやら,Gibsonを使っているらしい”ということがわかったのです。確かに,アコギを始めた当初から,Gibsonという名前は知っていたものの,前回のコラムでも紹介した身内の叔父からは,”Gibsonなんて音が悪い。MartinかYAMAHAにせえ!”と言われた始末…それを変に鵜呑みにしていたところもありました。今思えば,その理由は,Gibsonが,叔父の目指す音楽と全く違う音だったことや,時代背景(叔父が十代の頃,つまり,日本において第二次フォーク・ブームが起こった70年代頃のアコギの主流は,MartinやYAMAHAだったようです。70年代のGibsonのアコギは,親会社の買収などのゴタゴタや,製造の合理化や統一化によるものか,あまり評判が良くないと言われることも多いようです。)もあったのかもしれません。

でも,どうやったとしても,あの独特の音に近づけたくても近づけないというもどかしさが,ずっと心に残ったのです。こうなれば,手に入れるしかない!!という思いが沸沸としたのでした。しかも,J-45やJ-160Eを見ると,他のアコギとは明らかに違うボディ形状。”ラウンド・ショルダー”という,通常のドレッドノート・シェイプの肩を少し緩くしたような姿に,”かっこいいじゃないか!”と思ったのです。

しかし,そうは言っても,その当時(2000年代前半から後半)はそれらを手に入れられるはずもありません。J-160Eを,念願かなって,楽器店で数度試奏できても,”手に入れられないよね…”と思って回避しているうちに,J-160Eの独特の音色よりも,J-45の,しっかりした芯のある音の方が良いと思うようになっていきます。そして,”いつか必ず,J-45を手に入れるぞ”と強く思うようになっていったのです。

J-45を手に入れる,最初の決定的なきっかけはいくつかあります。長渕さんのJ-45の音に魅了されたことと,吉田拓郎さんが,1976年に,かぐや姫と共同で開催した,つま恋での野外ライヴの際に使用していた1967年製のJ-45のルックスを見た時の衝撃…”なんてかっこいいんだ…”と思ったものでした。それも手伝って,当初は,ラージ・ピックガードに,サンバーストのものを手に入れたいと強く思っていました。

そして,ついに,本格的に手に入れるべく,2011年の夏頃から,行きつけの楽器店に赴き,試奏していく期間が始まります。1950年代のJ-45を再現した現行モデル,”1950’s J-45 Tri-Burst”が,最初だったと記憶しています。拓郎さんと同じような,ラージ・ピックガードに,赤身の強いサンバースト・カラーに惹かれたのでした。ここ十数年,現行のGibsonのアコギ(ことに,60年代のリイシュー機種)のラインナップの主流になっているアジャスタブル・サドルではなく,通常のアコギに見られるような固定サドルということと,ピックアップを搭載している機種が殆どの中,ピックアップ無しというのも好印象でした。当時,ライヴ用の曲アコギ(Takamine等)はすでに所有していたし,Gibsonをライヴで使用する意思は全くなかったのです(今では,ライヴ用のGibsonのアコギを数本所有しているわけですがw)。

ちゃんとした形での初めての試奏に緊張したのですが,まず持ってみるや,その軽さに驚いたのです。スプルースをトップに,ローズウッドをサイド/バックに配したアコギを所有し,ずっと弾いてきた僕にとって,スプルースをトップに,サイド/バックにマホガニーを配した材構成の身軽さは,かなりの衝撃でした。これは扱いやすく,取り回しがしやすいと思ったものです。

思い思いに,コードを奏でてみた時,”あら?思った以上に音量が小さい!”と驚愕しました。それこそが良さだったわけですが,今まで,音量が大きく,サスティーンがあるアコギに耳が慣れていたこともあってか,”外れの個体を選んだのかな…”と心配もしました。当時,Gibsonの日本法人の設立の絡みで,取り扱いを一時的に停止する楽器店が出るような騒動もあり,”Gibsonのギターは,外れの個体が多い”などといった,真偽の程もわからないような,ネガティヴな情報も多く流れていたことを知っていただけに,そのことを鵜呑みにしていたこともありました。

でも,そういった心配は,じっくりと弾いているうちに,あっという間に払拭されました。出ている音は,間違いなく,僕が聴いているアーティストが奏でるGibsonの音と,全く一緒だったのですから。5弦や6弦の音色の硬さ,ストローク時の歯切れよさ…まさに,”僕の理想”でした。”音量が大きく,サスティーンが大きい”ものが,”良い個体”というわけではなく,”個性や音色”も,良さの判断の基準に入るのだということを,身をもって知らされた瞬間でもありました。

その個体を日を跨いで数度試奏したのですが,手にするチャンスを伺っているうちに,売れてしまったのでした。少し落胆しましたね…。

そんな中で,ある日,黒のボディ・カラーに, ”Gibson”のロゴがスタンプされた,白のラージ・ピックガード仕様の,60年代後半のJ-45のリイシュー個体を,斉藤和義さんが弾いている映像を見たのです。以前から,そのようなJ-45があったことは知っていましたが,何故だかピンとこなかったのです。ボディの色が黒のアコギに,あまり興味がなかったのだと思います。拓郎さんが使用していたことも知っていました。

今まで選ぶ範疇になかったそのJ-45を見て,不思議と衝撃が走ったのです。あっという間に魅了されてしまったのです。言葉に表せない程のかっこよさに,惚れ惚れしてしまったわけです。”今まで何故,この色のJ-45に興味がなかったのか…”と悔やんだほどでした。ピックガードのGibson+6本の弦と指のロゴの可愛らしさにも惹かれました。

選ぶ照準は,瞬く間に変わりました。”サンバーストではなく,黒ボディに,白のラージ・ピックガードのJ-45を手に入れる”と決めたのです。

斉藤さんや拓郎さんが弾いていたそのJ-45は,1998年から2000年代前半に,三木楽器によって発売された(60年代のJ-45の再現の走りにもなった。)ものであったため,固定サドルでした。前述したように,胴から鳴らし育てたいということや,音の厚みの関係で,そのサドルの仕様が,僕にとっての必須条件でした。

しかしながら,2011年当時,現行の黒ボディに,白のラージ・ピックガード仕様のJ-45のほとんどが,アジャスタブル・サドルでした。”やはり固定のものは出ないのかな…”と諦めていたとき…。その行きつけの楽器店に,外観はそのままの固定サドル仕様が,限定で発売されたという情報を耳にしたのです。機種の名は,”1960’s J-45 Ebony Black with Normal Straight Saddle”。サドル材も,好みの牛骨でしたし,狂気乱舞!”ついに出た!もうこれしかない!”と,心に決めたのです。

運命の時,2011年12月30日。朝から家庭の雰囲気も悪く,心が重かった一日だったことを覚えています。イライラが頂点になった時,”よし!あのJ-45を買いに行く!”と言って家を飛び出し,行きつけの楽器店に足を運びました。

特有の香りが漂うGibsonコーナーに入った瞬間に,対峙することになった”黒のJ-45”。新品の個体らしい,ラッカー塗装ならではの光沢…ショウ・ウィンドウに掛かり,ダウン・ライトに照らされたその姿は,まさに”かっこいい”の一言でした。

“本当にGibsonを手に入れるんだな…でも怖い…でも今更止められない衝動”。緊迫感は尋常ではありませんでした。そして,ついに試奏…自分が聴いてきたアーティストの楽曲のコード進行や,好きなコードを奏でてみる。E,C,F,A...やはり,間違いなく”あの音””理想の音”!これだこれだ!と喜び,思い直したのです。購入の際の諸々の手続きなんて初めてだったし,慣れずにてんやわんやしてしまい,疲労感も出てしまったことは間違いありませんが,無事に,ついに,OHORI123にとって初めての,第一本目のGibsonのアコギ/J-45を入手することができたのでした!数年越しの,念願が叶った瞬間でした。

店員さんによって,ハードケースに収められたJ-45を抱えて,楽器店を出て,大晦日前の年末感が漂う,人通りも多い,夜の福岡の街を1人歩きました。あの時の風は本当に冷たかったですね…。

家に帰ってからは,1日が終わるまで,ずっとリビングで弾いては眺め,弾いては眺めの繰り返しでしたね…”これがGibsonのアコギか…”と,今まで偉大に思ってきたJ-45が,なんだかコンパクトに見えたのです。身近になったという実感の有無が交錯していたのだと思います。それからというもの,毎日毎日弾き込んだことは言うまでもありません。愛着も増していきました。曲作りも捗りましたね…。

“これで,Gibsonを手にすることはあるまい...”と,満足感に浸っていたはずの僕。あまりのGibson好きが嵩じてしまい,その後,さらに4本増えることになってしまう運命を辿ることになるとは…。多分,”Gibson病”は,一生不治と思われますww

…とはいえ,やはり,最初のGibsonのアコギを手に入れた思い出は,かなり強烈であったし,忘れることは出来ないでしょう。あれから8年半の月日が流れましたが,その個体をことあるごとに弾くたびに,”僕のところによく来てくれたね…”と,思いを込めることも多いですね。

新たなアコギを手に入れるということは,ただ購入するだけでなく,色々な人との繋がりや,思い出を連れてくるものです。その時の情景はもちろん,楽器店員さんとの会話の内容や,あるいは空気の匂いというか…そういったことや,あるいは自身の決意や葛藤も強烈に記憶されるのです。アコギを手にするということ一つにしても,決して単純なことではないのですよね…。

だからこそ,愛着も湧くのでしょうし,気持ちも上向きになれるのだと思います。やはり,僕は,音楽が,アコギが,弾き語りが好きで良かった…そう思います。

思いが溢れてしまい,泣きそうになっていますww…またまた長文になってしまいましたが,皆様が,より良いアコギ・ライフをお送りすることを心からお祈りし,筆を置くことといたします。

今回も,最後まで目を通してくださり,本当にありがとうございました! それでは,また!!

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2020.7.23 AM3:42 OHORI123

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