マスクをしない自由

最近、携帯・鍵・定期券を持った。さー出かけて、清々しい朝の空気だなーと思いつつ、すれ違う人の冷たい視線を感じて「あっ、マスク忘れた」ということがたまにあります。もう、最近では忘れるを前提に鞄に予備のマスクを入れる様にしているので大丈夫ですが。米国ではマスクをしない自由を主張する人が沢山います。マスクを強いられることを自由への脅威という人さえいます。ネットにはマスクをしていない人に注意した人との殴り合いの喧嘩も出ています。生真面目で従順で我慢強い日本人からすると、どうして?、という感じです。マスクをすることで人からうつされない様にする、うつさない様にする、これはもう責任であって、しない自由というのは無責任な発想でしかないと思います。しかし、米国に住んでみて少しどうしてこういう風潮があるのかを感じることがあります。想像を絶する多民族の集まりで格差も日本の比ではないほど大きい国です。そんな国で最も大事にしなければならないのは「平等」「公正」そして「自由」です。何かを強いられることがこれらを壊すのではないかと敏感に神経質に感じる傾向はあると思います。マスクをしない主張をする人がテレビに出てきて、賛成はできませんが、そう単純なことでもないのかなとも感じます。米国でも是非、銃社会でなくなって欲しいと思います。しかし、米国で都市を離れてドライブすると果てしなく荒野が続いて、休憩所の自動販売機は盗まれにように鉄格子の向こうで鎖で巻かれていてという状況で、「万が一、ここらへんに住むことになったら、絶対、銃は欲しいな」と感じました。良い悪いという話は置いておいて、どこにもそれなりの背景・事情というのがあるんだと肌で感じたものです。


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