新幹線がはこぶもの
「おねえちゃーん」
その言葉にはすべて濁点がついているようだった。
新幹線に乗ってお茶を飲んで文庫本を広げる、なんてことは遠い昔だ。それは出張を終えて家路につくときの誰にも邪魔されない貴重な時間だった。
携帯電話を持つようになっていつでもつながるようになった。こちらが望まなくても電話が僕の時間を中断させる。パソコンもいつでもつながる。途絶えることのないメールは受信トレイをいっぱいにする。高速で滑走するリクライニングシートで背中に振動を感じながら、時間を惜しむようにして画面を見つめキーを叩く。
そんなことをしていると目的駅のアナウンスが聞こえてくる。窓の外に流れる景色は目に入った異物のようで馴染むことはなかった。
同じ新幹線でもまったく違った体験をさせてくれたことがあった。新型コロナ流行の前の年だった。保育園に通う娘ひまりを連れて各務原の実家に帰省するときのことだ。
「アリスおねえちゃんとシャボンだまするの」
「イチゴおねえちゃんにおえかきしてもらう」
前の日からあれをやりたいこれをやりたいとはしゃいでいた。興奮で夜も眠れないひまりだったが、出かける朝は自ら起き出した。新横浜から新幹線に乗ればジュースとお菓子、おもちゃをカバンから出して大遊園会が始まる。僕も大きく羽を伸ばしてビールとつまみで寛ぐ。
オヤジとオフクロが待つ実家に帰ると僕の妹も子供を連れて現れた。小学生と中学生の女子二人だ。とたんに家の中がお祭り騒ぎのにぎやかさになる。従姉妹どうし三人が集まるとその勢いは止められない。
「わたしのおにんぎょうだっこして」
「わたしのあたまにリボンむすんで」
大きなお姉さんを見つけた娘は甘えることも忘れなかった。
二晩を各務原で過ごしたあと名古屋駅に向かった。従姉妹がホームまで見送りに来たがにぎやかな女子会は終わる気配がない。お互いにガラス窓を挟んで手を振り合う。
いよいよ新幹線が走り出した。そのとたんひまりが身体を翻して座席の隅に顔をうずめるようにして突っ伏した。突然の動作だったが三日間の疲れが出て眠ったのかと思った。
ビールを口に含んでふたたび横を見ると様子が違った。背中を大きく上下させている。まさかキャンディーを喉に詰まらせたのかと慌てて娘の身体を抱き起した。娘は大きく口を開け、
「おねえちゃーん」
と声をあげた。頭を後ろに倒し天井を仰ぎながら腹の底から声を絞り出す。誰はばからず泣き、しゃくりあげながら繰り返す。
「おねえちゃーん」
繰り返すその言葉にはすべて濁点がついていた。一緒に同じ楽しい時間を過ごした。ふたつにひき裂かれる。痛いほどの悲しさ。
目からあふれる涙はほほをつたって落ちる。鼻からも水が流れ唇を濡らす。口からはよだれがこぼれている。三つの液体はあごで合流し堰を切ったように流れ落ちる。口を開きあごを突き出しながら天井に向かって泣くひまり。
いつでもどこでもつながる時代にも出会いと別れはあるのだと教えてくれた。楽しさも寂しさも精いっぱい味合わせてあげたいと思った。
「おねえちゃーん」