殺人を許容する国。
日本には死刑がある。
およそ200ヶ国中150ヶ国で廃止又は運用停止されるなかで、国民の8割が制度存続と実運用を支持しているという、異常な狂乱国家である。
しかしそれは今回の論点ではない。
個人的には、死刑そのものはあるべきものだが、「冤罪の可能性を100%否定できない場合にすら執行される可能性のある死刑」は、あってはならないと考えており、その理屈で世界の国々も動いているのに、日本はそうではない。
しかしそれは今回の論点ではない。
さて、日本において、殺人は絶対悪ではない。
どういうことか。
サイコパスでない限り、
「殺人は善い行いですか?」
と問われて、
「はい、そう思います。」
と答える人間は、この世に居ないだろう。
もちろん、日本においても、殺人は悪である、とされている。だからこそ、殺人を犯した者は、死刑または懲役が課される、という刑法が定められている。
しかし、「ある程度の殺人」は許容されている。
殺したければ、殺して構わないのである。
ただし、残りの人生の1/5から1/4程度をドブに捨てる覚悟があるなら、ではあるが。
日本の司法界では、「覚悟ある者の犯した、人間としての最低限度の尊厳を損なわない程度の殺人」は、死刑にはならない、ということである。
簡単に言えば、
「あまりに惨たらしい殺し方でもない限り、一人殺しただけなら死刑にはならない」
よくニュースで見かける殺人事件のほとんどは、死刑にはならない。
そういうことなのだ。
この国では、故意に人を殺すことは、悪ではあっても絶対的な悪ではない。許され得る罪なのである。
これは極めて大きな矛盾である。
日本では、
・殺人を犯した者はその命を以て償うべきで、たとえ殺人が事実ではなくとも、ほとんどの人間にそうらしいと疑われる状況さえあれば、疑わしき者をその意に反して殺しても構わない。
という価値観(死刑)と、
・10年~30年程度の人生の時間を放棄する覚悟があるならば、そして、いたぶっていたぶって殺すような真似さえしなければ、一人くらいは殺してもよいし、なんなら情状によっては二人殺してもよい。
という価値観(殺人事件でも死刑にならない、というほとんどの判例)
この相反する価値観が共存している。
そしてこのことに、ほとんどの国民が疑問を抱いていない。
私はこの事実に気付いたとき、背筋が凍った。
・殺人は絶対悪である。
・殺人を犯してはならないと言うならば、一人でも故意に殺した者は死刑にしなければならない。
・100%を保証できないならば、死刑は行うべきではなく、万一冤罪が発覚した場合のために、生きながらえさせる。代わりに、生涯釈放は許さず、他者との交流も許さない。最低限度の生命活動を維持することのみ、許す。
それが正しい、他者の命を奪った者に与えるべき罰ではないだろうか。
人命は地球より重いと言うならば、
殺人は絶対悪だと言うならば、
殺人者に対しては、
同じく命を奪うこと、又は、
自ら死を望むほどに、外界との交流を絶ち、社会的動物としての権利一切を奪った上で、命だけは取らずに生かす。
それが当然の帰結ではないのか。
殺人犯は許さない。無罪を主張しようと殺す。死刑
覚悟があれば一人くらい殺してよし。懲役→釈放→自由
この大いなる矛盾を抱えた国に、
国会議員の誰もその議論をしようとしないこの国に、
正義は無い。