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4連・・・・・。うずらと卵と女の子。

子供の頃、なぜか夏休みは7月が終わると、もう終わったような気がしてた。8月に入ったらもうあっという間に終わっちゃう気がして。

うずらの卵が好きだ。
子供の頃は食べたことがなかったんだけど、友達のお弁当に入ってるのを見て憧れていた。あんなにちっちゃい卵があるなんてって。

私のお母さんは自分が育ってきた感じで私を育ててくれたから(まあ、みんなそうだよね)私のお弁当は大人のそれみたいだった。
鮭は厚さ2センチはあろうかというソテーで、エビは車海老の塩焼きで、肉と言えばヒレステーキだった。
嫌味じゃなくて本当だから仕方がない。

だから、他の子のお弁当の赤いウインナーや、ちっこいエビフライや、それこそうずらの卵が羨ましくてしょうがなかった。
今なら私のあの頃のお弁当の方を選ぶことは間違いないんだけれど。

ある日、私の前の席でお弁当を食べてる女の子の、あまりにも薄い鮭の塩焼きをみて、お家に帰ってからとうとうお母さんに言ってしまった。

「〇〇ちゃんのお母さんは、お母さんよりお料理が上手だよ」って。
「そうなの?すごいわねえ。どうしてわかったの?」
「だって、鮭をものすごく薄く切れるんだよ。」って。
これは本気だった。本気でそう思ったんだ。
あんなに薄くお魚を切れるなんてって。
あの時のお母さんの顔を今でも思い出す。困ったような面白いような、だからって目の前にいる自分が育ててる子供に、どうやって説明したらいいのか一生懸命考えてるような顔。
そして、こう言った。
「そうなんだ、お母さんも薄く切る練習してみようかな」って。

その後も、いつも入れてる海老の子供を(違うんだけど)入れてくれだの、赤いウインナーを入れてくれだの言ったんだけど、それはなぜだかどっちも拒否られたのか、私のお弁当に入ることはなかった。
でも、なぜか鮭だけは多分お刺身用みたいにおろしたものを、焼いて入れてくれたことがある。でもその時気がついた。
いつもの鮭のほうが、甘みがあって断然美味しい。と。
それからは、前のに戻してもらった。

でも、うずらの卵は言えなかった。
なんか、ちっこい卵がいいなんて、子供みたいで言えなかったのだ。子供なんだけど、子供くさいことが嫌いだったから。
大人になって中華料理屋さんに行って、八宝菜の中にうずらの卵を発見した時はものすごく嬉しくて、それ食べたさに八宝菜を頼んだりした。うずらの卵を食べたら、あとは残して他のものを食べたりしてた。

中華料理は色んなもの頼んで、みんなで食べたりするからバレないと思ってた。
しかし、それを見ていたスタッフが
「もしかして、うずらの卵食べたさに八宝菜頼んでませんか?」
バレてるじゃん。
でも、一応カッコつけでもあるから、
「そんなことないよ。全部美味しいよ」
って言ってみたけれど、次から中華に行く時は私が頼まなくても、彼女達が八宝菜を頼んでくれるようになった。
若干、躊躇したけれどうずらの卵の誘惑に負けて、やっぱり少量の白菜と筍と共に、うずらの卵を自分の皿に乗せたものだ。
そんなに嬉しそうに食べてたんだろうかと思うと、なんだかね。

だから、今でもスーパーのお惣菜コーナーでうずらの卵のフライなんかを見つけると、なぜだか買ってしまう。
でも、正直そんなに美味しいとは思っていない。ちょっと硬いし特別味がするわけでもないし、なんなら八宝菜味とフライだったらソース味になってる気がする。それでも憧れのうずらの卵なのだ。

そうそう、うずらの卵といえば、ギャラリーに来てたお客さんの中に仲良くなった女性(これは私には珍しいこと)がいて、その人が言ってたことを思い出す。

「子供の頃、お父さんにうずらをおねだりした事があるの」
「うずらって、あの鳥のうずらですか?」
「そう、そのうずら。お父さんが見つけてくれて楽しみに育てたの」
「へえ、うずらって飼えるんですね。」
「なのに、オスだったのよ。」
「えっ?」
「いくら可愛がっても卵産まなかったの」
「えっ、そっち目当てだったの?」
「もちろん!だって、卵産んでくれたら毎日お弁当にうずらの卵を入れてもらえるでしょ?それも何個も」

この人と仲良くなった理由がはっきりした。そうか、そこだったのか。
今は旦那さんのお仕事の関係で遠くに行ってしまった彼女に、時々、会いたいなと思う。そして、あの時聞けなかったそのオスのうずらの運命を、今なら聞けそうな気がする。

彼女はお祭りの時に買ってもらったミドリガメが子供のカメだと思っていなくて、大きくなりすぎたから、水槽より広い神社の池に自由に泳げるように入れてあげたと言っていた。
その池には他にもたくさんカメがいたから、お友達もできるでしょ?と。
時効ですよね。今ほど外来種がどうとかって言ってなかった時代ですから、許してあげてください。

あのうずらはどうしたでせうね?

母さん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね?っぽく読んでください。
多分彼女は谷底には落としていないと思いますが。

夏休みの子供にはありがちな事ですよねー。

ということで、お疲れ様でした。
こんなに猟奇的な暑さの中、よく頑張りました。それだけで偉い気がして、そのくらいのことでも褒めてあげたい気がします。

待ちに待ったお休み、楽しくお過ごしください!

4連・・・・・。
イエーーーーーーーーーイ!

お母さんは西條八十も好きだったな。ってことでおまけ。

『麦藁帽子』 / 西条八十
母さん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね。
ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へいくみちで、
渓谷(たにぞこ)へ落としたあの麦藁帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
ぼくはあのときずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき向こふから若い薬売りが来ましたっけね。
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
だけどたうたうだめだった。
なにしろ深い谷で、それに草が背丈ぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき旁で咲いていた車百合の花は、もう枯れちゃったでせうね、
そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかもしれませんよ。

母さん、そしてきっといまごろは
今晩あたりは、あの谷間に、静かに雪が降りつもっているでせう。
昔、つやつや光ったあの伊太利麦の帽子。
その裏にぼくが書いたY・Sといふ頭文字を埋めるやうに、静かに寂しく。

西條八十

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