お話を聞こう、それも沢山。大切な人の話を聞くのってきっと楽しいはずだから。
「もっと遠くへ行こう」イアン・リード読了。
人里離れたキャノーラ畑の広がる農場に住む、ジュニアとヘンという名の夫婦の話。
ある日テランスと名乗る、とある企業から派遣されたという男がやってくる。
その男は唐突に、ジュニアが幸運にもある宇宙移住計画の一部を担う人間に選ばれ、その計画の大切な最初の一歩を経験する旅に出ることになると告げる。そこからこの物語は始まる。
読み始めてすぐに、ジュニアは人間以外のものなんだなとわかる。
会話を表している文章なのに、彼のセリフだけ「」が使われていない。
心の声として表現するには腑に落ちないし、わざわざそうしているところがそれを連想させる。
映画だったら「シックスセンス」や「アザーズ」みたいに、最後の最後で「えっ」と思わせる事もできるだろうけれど、この作家は小説なのに書き方ひとつで初っ端からそれをバラしている。
ということは、読み進める上でジュニアと名乗る夫は一体全体「何」なのかを頭におきながら、違う部分で読ませる事の出来る物語になるんだろうなと感じながら読み進めることになる。
淡々とした夫婦の日常が続いていく。
どちらもその生活に満足しているのか、していないのか。
自分以外の人間を満足させる事なんて難しいのかもしれない。
このお話の場合、人里離れた場所で主に2人だけの世界を作り上げている(どちらもがそれを好んでいるのかは別として)から、お互いから逃げる方法はほとんどない。
目の前にいる自分以外の人間が興味の対象になるわけだけれど、時間の経過とともに当たり前のように側にいる人間の心の中を探ることを徐々にやめてしまう。
その濃厚すぎる相手への距離と正直な自分の心や成長に、ズレが生じて互いに疲弊してくる。
ただ、その何かはわからないジュニアは自分勝手な「これが幸せの形だ」という考えを持つ一方で、ヘンの表情や足音や後ろ姿なんかから、どうにかヘンの心の声を読み解こうと努力する。
そのうち、謎の男テランスが訪ねてくるだけでなく、ジュニアの宇宙計画のために夫婦の家に同居すると言い出す。
ジュニアの体の特徴や心の動き、ヘンとの関係などのデータを詳しく収集するためだという理由。
そしてジュニアが宇宙に旅立つまでの奇妙な3人の生活が始まる。
ここで早くも読んでる私たちは、実はジュニアが「何」なのかに気づく。
本物のジュニアが長い旅に出るため、残されたヘンにジュニアもどきを制作して、留守の間ヘンの面倒を見るために置いていくという話になるからだ。
もちろんまだこの時点では、初めから登場している会話に「」がついてないジュニアは本物じゃないんですよ。と明言はされない。
でも、読んでる方はそうと気づくし、そんなにあからさまにネタバレしたくないと作者が隠してる風もない。
お話がここまで進んできても、潔く「そう思うでしょ?そうですけど何か?」といった感じ。
では一体全体オチはどうなるんだろう?とうまい具合に次を読みたくさせられる。
ところで夫婦ってなんだろう。
別に夫婦じゃなくてもいいんだけど、自分以外の人間と自分。
事務所にいた時は離婚とお金の話が大半を占めてて「なんでこの人たちはこんなにお互いを嫌いになったんだろう、好きで結婚したはずなのに」とよく思っていた。
若かったし、いや自分の心に正直になるって昨日言ったばっかりだから言うけど、本当に私にはよくわからない。
こんなに生きても、色んな事を実際に見たり聞いたりしても、やっぱり結婚って、大好きな人とするものだと思っている。
私にはそれしか選択肢がない。
結婚してる人で身近にいた、お父さんとお母さんを見て育ってるから。
心は破綻してるのに「結婚したんだから」っていう見えない何かを守れる人ってすごいと思う。
1日の終わりに自分の心が崩れそうになっても、朝起きたらその空間と約束事を守るために朝食が作れるなんて、その朝食を毎日食べて、会社に出社していけるなんて、想像しただけでも苦しくなる。
ものすごいエネルギーだと思う。
もちろん、そうじゃない夫婦も沢山いると思う。
ちょとした行き違いや喧嘩があったとしても、それは2人の間、もしくは大切な家族との間に存在するかけがえのない関係性からしたら、バカみたいになんて事ない事だったりするんだと思う。
いくら離婚の話が大半を占めてたとはいえ、毎日事務所が開く前から美味しいランチのお店みたいに行列ができてたわけじゃない。
話がそれたけど、作家はお話のラストに心が抉られるラストをきちんと用意していた。
予想通り「」のないジュニアは人間ではなかったし、本物のジュニアが大切な宇宙への最初の一歩の旅から戻ってくるし、読む過程で君が気づいたくらいのそんな事なんかはどうでもいいし、オチっぽく書かれた最後の出来事もそこじゃない。
目に見える出来事なんて、見えるくらいなんだから怖くもなんともない。
オチとかなんとか考えてた自分が恥ずかしい、そこじゃない。
切ない。学習する能力はあるけれど、愛情の何たるかはわからないんじゃないのかと思われている、本人のデータをコピーされただけだったはずの人間じゃないジュニアとヘンとの2年半の暮らし。
もちろん本物のジュニアのコピーだから、態度も考え方も本物のジュニアを基本にしているわけで、ヘンの心も本物のジュニアと暮らしていた時とそんなに大きく変わったわけではない。
人間でないジュニアは、違った心でヘンを見るようになっていた。
ヘンの本当の気持ちを少しでも見つけられたらと努力していた。
ヘンの話を沢山聞きたいと思っていた。
相手の話を聞いてあげたいと思う事って、愛情の中でも大切なひとつだと思う。
お話したい時、その話を聞いてもらって嫌な人はいないと思うから。
お話を聞こうと思う。
このお話は映画になってるらしく、大好きなシアーシャ・ローナンがヘン、ポール・メスカルがジュニアでプライムビデオで配信されてるらしいから、見てみよう。
タイトルは原作と同じ意味深な「Foe」
今日は待ちに待った金曜日の皆さん、素敵な週末をお過ごしください。
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