「ダーク・マター」そうか、見送るしかないよね。
雨ですな。
「ダーク・マター」どうなることやらと思っていたけど、そう来ましたか。っていうかそうするしかもうどうしようもないなって感じ。
でも、同じ人間から派生して突然出来上がった本人のクローンみたいな人間、人間?が、出来事の選択の積み重ねであれほど個性が違ってくるなんて、そら恐ろしくもある。
愛する家族から離された瞬間から、愛する家族にもう一度会って以前の生活を取り戻したいという一途な気持ちから始まったストーリー。
目立たない家族思いの、どちらかといえば保守的なジェイソンが、自分の目的を達成するためなら人殺しも止むなし的な人格を手に入れたり、他にも大勢のジェイソンズがいるとわかってから、ダニエラを取り戻すためにサイトを立ち上げてジェイソンズの間の連絡網を作り上げ、情報交換したり画策したり、奇抜な提案をしたりし始めて、それを見てるとダニエラへの愛情はすでに感じられない。
自分の目的達成あるのみ。
あんなに家族を大切に思っていた人なのに、そこまでの変貌ぶりを見せる。
これが全て枝分かれした後、その時々にとった判断と選択の成れの果てなんだろうか。
救われたのは、ダニエラの最後の選択を知って自分の事よりもそれを尊重しようとするジェイソンズがたくさんいた事。ダニエラがそう決めたんだから邪魔しないで行かせてあげようと。
あれが自己犠牲だとしたら、あの場所に残ってダニエラたち家族を見送ってくれたジェイソンズは、天国に行けるよね。あるよ、きっとあるさ。
ことの発端となったジェイソン2のラストのシーンも物悲しい。
あんなに成功していた世界の自分より、普通の幸せを生きているジェイソン1に嫉妬して羨ましくて、その生活を盗もうとした。そのジェイソン1を観察してて、自分の世界の華々しく成功した生活を気に入らないとは思わなかったと。
ないものねだりだな。使い古された言葉で言うなら隣の芝生だ。
最後には自分のした事を強く反省して、ジェイソン1ファミリーを助ける。多分、自分の命をかける事になるだろうとわかっていても。
それも、まあひとつの愛だ。
アマンダもライアンも幸せそうだった。そのシーンが挟まれててちょっと嬉しかった。ライアン、あんなところに置き去りにされたのに、薬作ってたんだ。賢すぎるな。あまりに怖くて身動き取れなくなって、一つの世界にとどまってたブレアも動き出せたみたいだし。
ストーリーって、初めの着想は自由だし、思いついた時に「これだ」と思えるんだろうけど、着想が独創的であればあるほど、着地点が難しいんだろうなと思う。読者やドラマや映画を見る人は、面白ければ面白いだけ、そのお話に引き込まれるうちに登場人物に肩入れしたり、自分なりのエンディングを思い描いてしまう。人それぞれの思い込みと共に。
いろんな映画や本やドラマが次々に生まれていくけれど、絵画作品とかまあそういう芸術作品とおんなじで、第三者の前に生み出してしまったらもう言い訳もきかないし、取り返しもつかないし、自分以外の人間に評価をされても文句も言えない。何もないところに何かを作り出すって、本当に大変。頭が下がる。
その作品にスポンサーやらなんかのお金まで注ぎ込まれたとしたら、恐怖で眠れなかったりもするんだろうか。よく、やっていけると思う。
「ハウス・オブ・ザ・ドラゴン」のEP2も配信されてた。
「ゲーム・オブ・スローンズ」を必死に見てたせいで、あのオープニング曲が流れると、今度はなにが起こるんだろう、リトルフィンガーは絶対制裁を受けると思うけどどんな風に死ぬんだろう、溶けた黄金を頭からかけられるってどんな気分だろう、とにかくドラゴンに乗ってみたい、冬来たるってそういう事だったんだ、といろんなシーンが思い出されて、パブロフの犬みたいに反応してしまう。
サーセイ、ジェイミー、ティリオン、ジョン、アリア、サンサ、デナーリス、ジョフリー。名前だけ呼ぶと楽しい仲間達みたいにも聞こえなくもないのに、それぞれにファミリーネームがつくととんでもない事になる。
おおっ、もう一回見たくなってきた。
「ダーク・マター」もそうだけど、始まりは純粋な思いだったとしても、それぞれの立ち位置や内に秘めた欲求に重心が置かれ始めると、恐ろしい形に変化しかねないっていう永遠に変わらないテーマなんだろうか。
「愛情の変化形」
でも、どこかで変化してしまった「愛情」って、愛しかったり大切だったりする人に向けてたはずのそれが、ある時から自分に向かったものに変わってしまってるような気がする。
架空の世界ではそれが激しいほど興味深いものになるのかも。
きっと日常世界では見ることができない世界だからだよね。
きっとそう。
自分を大切にしながら相手の事も尊重できる事が「変わらない愛情の形」だったらいいな。まあ、過ぎたるは及ばざるが如しだけど。