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「秘密の森の、その向こう」という映画を観た。昨日まで全く知らない映画でした。
noteを始めてからどのくらい?半年くらいだろうか。
今まで、そんなにSNSとか個人的にはやってなかったし、Xもnoteを始めてからアカウントを作ってみたのだけれど、以前思っていた感じとは違うんだなあと最近思う。
Twitterが始まった頃は、なんだか自分がどこにいるとか、どんなものを食べたとか、今とってもブルーとか書いてる感じだったように思えたので、どうでもいいなあと思ってた。
でも今は、映画や本の事とか、ドラマの事とか、ジャイアンツの事とか、とにかくみんな情報が詳しくて、自分が好きそうなことを書いてる人の記事を見ると、この人が言うんだったら、観てみよう、聞いてみよう、読んでみようってなる。
もっと早く覗いてみれば良かった。
まだ、そういう世界のルールみたいなものが全然わかってないので、なんか変なことしないようにしないと。
昨日は朝からちょっとした事がうまくできなくて、ちょっとだけイラッとして落ち込んだりしてたんだけど、ある人のXをみて、その人が久しぶりにnoteを書きましたって書いてあったから読ませてもらったら、あまりにも幸せな記事で、自分までその幸せを疑似体験したみたいな気分になって、気がついたら穏やかに機嫌が直ってた。
その後も一日ご機嫌に過ごせて、素敵な文章って音楽や映画とおんなじくらいパワーがあるんだなと思った。
ドラマだって映画だって、この人が言うなら観てみようっていう投稿があって、本当にいつもハズレがない。
ハズレって言うと失礼か。
自分が今まで全く知らなかった映画とか本とかドラマとか、自分だけの時より世界が広がって、一人で映画を選んでた時は「見たいけれど、まあ、いっか」とか映画館に行くまでに、ちょっとだけめんどくさかったりする時もあったけど(以前はそんな事なかったんだけど、ちょっと病気してからは、なんとなく)今はその人たちの投稿を見ると、行きたい!観たい!って動けるようになった。
昨日の夜は秋のいい夜だったので、何か映画を観ようと思って、素敵な気分にしてくれた記事を書いた人が投稿してた「秘密の森の、その向こう」という8歳の女の子2人が主役の映画を観る事にした。
映画とか本とかドラマとか好きなんだけど、自分でいろんなものをリサーチするっていう事をしないし、今までは身近な人が教えてくれたりしたものや、たまたま見た記事とかで興味を持ったものなんかが全てだったから、この映画は知らなかった。
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「秘密の森」も「秘密の出来事も」なんとも美しく、キラキラした森に閉じ込めれれた思いが溢れて、子供だからなのか、ネリーだからなのか、目の前の出来事を疑いもせず受け止める。
そしてその大切な時間を、その時間の意味さえ理解して行動する。
「秘密というのは隠す事じゃない、話す相手がいないこと」
「今度はないの。」
抱えてる思いは計り知れない。
辛いことも悲しいこともたくさんある。
大好きなおばあちゃんへの最後の”au revoir”も、ベッドの足元に現れる黒豹も。
教えられる。「今度はない」
日々、何気なく過ごしていて、今、この瞬間もあの空も、昨日の夜も2度とない事で「今度はない」と頭ではわかっているのに、雑に過ごしてしまう事ばかりだ。
後悔のない別れなどないなんて、口では言いはするけれど、あの時こうしてあげれば良かった、もっと一緒に過ごしたかった、あの時なぜ仕事を優先したんだろうとか繰り返し繰り返し、今でも心が揺れる続ける。
お母さんが子供の頃って、どんな感じだったんだろう。
初めて会った時はもう「お母さん」だったから、当たり前のように「お母さん」を押し付けてたような気がする。ごめんね。
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ネリーもマリオンも大人びたように見えるけれど、お家に帰る後ろ姿はやっぱりちっちゃくて華奢で子供のそれだ。
それが本当の姿なんだ。愛おしくてしょうがない。
夢でも幻でもいいからあんな時間を経験できたら、どんなに素敵だろう。
ネリーとマリオンがクレープを作るシーン、たまらなくキュンとする。
あんなに思いっきり楽しそうな2人を見てて、なぜか泣きたくなる。
これから、どんな事があったとしても、時々はこんな時間を持ちつづけられるといいねって。
いい夜だったな。
朝は、あんな気分だったのに、見ず知らずの人の文章やおすすめの映画で、素敵な1日になった。
お風呂に入って寝る前も、ものすごくご機嫌だった。踊れるくらい。
機嫌がいいから、レンズ豆のスープを仕込んだ。夜なのに。
キッチンがレンズ豆とローリエの香りでいっぱいになって、またもや幸せのボルテージがアップした。
今日の朝、起きるのさえ楽しみになった。
みんなはただ単に、自分がいいと思ったことや感動したこと、面白かった事なんかを情報として誰にともなく投稿してるだけの事なんだろうけれど、なんとなくいつもこんな経験をさせてもらうと「教えてくれて、ありがとうございます」って言いたくなる。
だけど、そんなのはきっとSNSの世界とかでは鬱陶しい事なのかもしれないから、そっと私も誰にともなく言ってみる。
「ありがとうございます。昨日はいい日になりました」