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その形には何かしらの意味があったんだ。箱メガネはすこぶる素敵なアイテムだった。

私に「散歩の時、写真撮ったりしたら楽しいんじゃない?」と言って、カメラとかレンズとかをプレゼントしてくれた人のカメラに、魚を捕る時に使う箱メガネ(名前を知らないので勝手にこっそりそう呼んでいる)みたいなものがついてて、カメラ本体の前にも後ろにもレンズとそれが飛び出してる。
なんなんだそのビジュアルは?と思っていたんだけれど、覗かせてもらったら劇的にいい感じだった。
意味があるんだ。そりゃそうだよね。

箱メガネが作り出す液晶画面までの距離感と光を遮る感じとが相まって、それを通して覗くとちっちゃな映画館みたいに見えた。
うわっ、いいなあ。やるな、箱メガネ。と正直思った。
そう思ってみてると、なんだかそのヘンテコだと思っていたビジュアルまで、昔のカメラっぽくてカッコよく見えてきた。

元来ガジェット的なものが好きなたちなので、ちょっと欲しくなった。
教えてもらっていいなと思ったものは、なんでも真似っこしてしまう癖丸出しだ。
まあ、私が買ったところで、急にいい写真が取れるとも限らないんだけどね。

おまけにいい写真っていうのもそれぞれ色々あるだろうし、じゃあ何を撮りたいのかって聞かれたら、うーん、その時見た「おおっ!」とか「ワオッ!」とか「きれーっい☆」とか「クスクス」とか「なんだこれ?」とか、そういうの。
そういうのがその時の空気とか光とか匂いは無理か、でもできれば匂いも全部ひっくるめて捕まえられたらいいなと思う。
心が動いたその瞬間、そこにある全部。
それで私がその時感じたあれこれが一緒に写り込んでくれたらいい。
そうしたらおうちに帰って見返す時の楽しみが倍増しそうだから。

写真がない頃に書かれた絵を見ると、そういうのを全部感じる。

肖像画なんて、ドレスの生地がシルクタフタなのも一目瞭然だし、そのタフタの生地の厚みとかひんやりした手触りとか、絹とか白貂の毛皮の匂いとか、モデルが少し動いた時の衣擦れの音とか全部感じる。
襟や袖口にあしらわれたレースなんて、どれだけ見ても見飽きない。
なのに、近くで見ると白い線と点が散りばめられてるだけで、それをそんな風に表現した作家に、ため息が出るほど「あなたはすごい」と思ってしまう。

ベルニーニの彫刻だって、石なのに、石なのに、ローブの質感や温度が伝わってくるし、細かなレースの部分とか、石なのに、石なのに、嘘だろっていうくらい柔らかくて繊細で、本当、天才って思う。
何時間でも見てられる。

以前ロダンの手の彫刻を見た時、気がついたら触ってしまっていて、後ろから警備員さんが近づいてきても気づかなかった。
そっと「触らないで」て言われても、何が悪いんだか誰に言ってんだかすらわからなかった。
「はっ!」と我に返って謝ったら、私の3倍はあろうかという男性の警部員さんがちょっと苦笑いしてた。

気を取られると、訳がわからなくなる時ってあるよね?
しょっちゅうあって、本当に外では気をつけないと。
もちろん油彩画とかには触らない。
平面はいいけれど、立体物がやばい。
どうしても触りたくなってしまう。
それが素敵な美術品でも、スーパーに並んだ果物でも。
ツヤっとキラッとしたりんごや葡萄や、コックリした紫色のナスや、マンゴスチンやランブータンなんか見つけると、ちょこっと触ってしまう。
触ったら買うよ。ちゃんと。

植物園でもなんでも触ってしまう。
トゲトゲしてても、ふにゃふにゃしてても、見た目より固かったり柔らかかったりするんだよね、これが。
触っちゃダメですって書いてあるものには触らない。一応、字が読めるから。

何が言いたいいたかったんだっけ?
そうそう、そういうのもカメラで写した時「あーこの多肉植物って触ったら意外と固いのね、柔らかそうに見えるのに」っていうのか写真に写ってたらいいなって。
そういう話から飛躍したんだった。
おしゃべりな写真って、どう?うるさいかな。

でも、この写真っておしゃべりだなあって感じてもらえるのも、いい感じじゃない?

リュックデビューした。Carharttの黒いやつ。
Carharttにしては少しコンパクトでシンプルで、私が背負ってもそこまで背負われてる感がない。
昔から手荷物は最小限しか持ちたくないし、カードだけポケットに入れて財布すら持ちたくない人なのに、カメラとかレンズとかルイボスティー入れたボトルとか、ちょっと分厚いノートとかたんまり入ったペンケースとか、ハンドクリームとかいい香りのする練り香水とかリップクリームとか、オヤツとか持って歩きたくなった。
家出少女か。
リュック、恐るべし。

何かを必死で探してる子供。
おまけに10月も半ばすぎ。
いい笑顔の隠し撮り。
多分、飼い主さんのことが大好き。






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