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細くて長くて、関節以外のところに隙間ができている指を持つ男の人の巻。

「お待たせしました。こちらにどうぞ」

図書館の貸出カードの期限が切れそうだから手続きして下さいと言われたので、ランチのついでに図書館へ向かった。
少しだけ郊外にある市の総合図書館に着いてカウンターの付近を見ると、それらしい手続きをしてるカウンターに短い列が出来ていた。

「ここでお待ちください」と床に書かれた文字のそばに、靴の底のイラストが添えてあって、退屈凌ぎにそのマークにピッタリ足を揃えて立ってみた。
少しだけ小さいのかスニーカーの内側が重なったような感触を覚えた。

マスコットがついた黒いリュックを背負った坊主頭の中学生、小学校低学年の女の子を連れたジャージ姿のお父さん、その次が私だ。

中学生は例に漏れずスマホを見て俯いている。図書館に来るくらいだから何某かの本も読むのだろう。
女の子はお父さんに手を引かれながら、前に立つ中学生の方に前のめりに体を傾けて自分の番がくるのを待ち遠しそうにしている。

「まるさんかくしかく」
女の子にお父さんが話しかけた。中国語だった。
「まるさんかくしかく」
もちろん女の子も中国語で返す。

へえと思って見るでもなしに見ていると、黒いリュックの中学生が呼ばれた。
後、一組で私の番だ。

「次の方、こちらへどうぞ」
私が並んでる列の横のカウンターから女性の声がした。用事で席を外していた職員が戻ってきたらしい。
中国人の親子がそちらのカウンターに向かった。
よしよし、次だ。ひとつ前の靴跡のマークに移動した。同じように足をきっちり揃えてのせた。

「お待たせしました。こちらにどうぞ」
やった。カウンターに近づいて
「更新に来ました」
と言いながら、さっきまで坊主頭の中学生が座ってた椅子に腰掛けた。
30代前半くらいの男性がカウンター越しに話しかけてきた。
少し華奢で暖色系グレーのおしゃれなジャケットを着て、そのグレーのジャケットに、淡い、本当に淡いピンク色のシャツを合わせている。
黒縁のスチールのメガネをかけて、前髪がそのメガネの少し上の位置にふわっと揃えられてる。ジャケットの袖口から見えるところに、多分カシオの黒いG-shockが覗いていた。

そしてそれよりも目を引いたのが彼の指だ。細くて長くて、関節以外のところに隙間ができている。おまけに爪がピカピカなのだ。
なにか貸出しカードに関する説明をBGMのような声で話してきてたけれど、それより、その手入れされた指先はなんなんだと、そっちに気がいって頭に入ってこない。カードを差し出した自分の指先がどうなってたか改めて見直して見た。
そこまでじゃないけれど、彼の指先と比べるとなんともお粗末すぎる。
「なんだよ」と心の中で1人ゴチていたら、ジャケットの胸ポケットから細いオレンジピンクのこれまた初めて見るペンを取り出して、更新用紙にメモを取り始めた。はっ!? 文房具オタクの私が一度も見たことのないペンだ。
なんなんだ、そのキラキラとしてスマートで優しい色合いのペンは。どこのなんていうメーカーなんだ。いくら見てもわからない。
そうこうしていると何回かキーボードを叩いた後、丁寧に揃えた丁寧な指を添えて、丁寧にカードをこちらに差し出してきた。
「おまたせしました。では今日から3年間このカードが使えます」と。

たった図書貸出カードの更新をしにきたカウンターで、こんなにも色々に感情を揺さぶられるとは思ってもみなかった。

どこのペンか聞きたかったし、ピカピカの爪も気になったけれど、後ろの列の人に椅子を開け渡すタイムリミットが来てしまった。
すごすごと立ち上がった。

せっかく図書館に来たんだしなんか借りて帰るかと思い端末で検索してみた。
フランシス・ハーディングの「ささやきの島」がヒットしたので借りようとしたら貸出中だった。暇だしとりあえず予約した。

帰りに早速文房具を見に行った。普通のものも置いてあるし、少し良さげなものも置いてあるお店だから、片っ端から見て回った。ない。全然見つからない。
うー、やっぱり聞けばよかったかなと思ったけれど、あの時は暖色系グレーのおしゃれなジャケットを着て、そのグレーのジャケットに、淡い、本当に淡いピンク色のシャツを合わせて、爪をピカピカに手入れしているその人に「そのペンはどこのペンですか?」と聞くのが、なんとなく癪に触った。
あの時はなぜだか、その差し出された綺麗な細い指を、私の図書貸出カードごと、カウンターの天板に叩きつけてやりたくなるような衝動すら覚えたくらいだった。

諦めて帰ろう。

部屋について買ったものやお財布やなんかをバックからだして、定位置に戻した。
図書貸出カードも定位置に戻そうとしたら、見当たらない。
バックの中もその日の服についている、ありとあらゆるポケットの中にも、入ってない。考えても考えてもどこに入れたか思い出せない。
入れていないんだ。
最後に確実に覚えている図書貸出カードの姿は、本を検索する端末のデスクのキーボードの左横だ。そこか。
あの時「会員番号とパスワードを打ち込んでください」と促されて、カード番号は図書貸出カードの裏で確認したけれど、パスワードは書かれているはずもないから、図書館のサイトにログインする時に記憶されてるiPhoneで確認したんだった。それもAppleが推奨する複雑なパスワードにしてるから、安全だとはいえ、意味のない長ったらしいもので、打ち込むのが面倒だった。
そっちに気がいっていた。予約ボタンを押したところまでは覚えている。
その後の記憶はない。

なんてことだ。
明日、図書館に電話してみよう。
ピカピカに手入れされた爪で、受話器をとるだろうか。
その時もあのとても優しげなのに、自分の世界を確立していて、他人のことは決して寄せ付けないような空気感で「はい、総合図書館です」とBGMのような声で応答するのだろうか。

どうでもいいから「落ちてましたよ」と、誰かが届けてくれてることを祈る。
とんだ、更新手続きだった。

デイヴィッド・リンチが亡くなった。
だから今日の写真はコーヒーとドーナッツだ。

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