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コモドドラゴンに教えられた日

病気になってから健康オタクみたいに色々な情報を見るようになった。
それまでなんて健康って単語なんて気にしたことすらなかったのに。

トマトがいいだの、股関節のつまりがどうだの、油にはいい油と悪い油があるだの、毎日スクワットだけはやるんだ!だの。

一通り読み尽くしたせいか、最近ではそういう記事を見ると読まずに飛ばしてしまう。おまけにちょっとだけ「はいはいはい」って思ってしまったりしてしまう。

なんかきっとそういうのに疲れちゃったんだろうな。もう、いいよって。
でもこれは体調はが落ち着いてるからなのかもしれない。また悪くなったらそれ系の情報を見ちゃうんだろうか。
ふむ、考えるだにめんどくさい。

私が今30代の人とかに言えることは一つだけだ。虫歯じゃなくても歯医者さんにだけは通ったほうがいいよって事。その程度。でももしかしたら後30年もしたら歯磨きももっと簡単になって、虫歯なんて存在しなくなるかも。うがいするだけで歯垢まで綺麗になるみたいなマウスウォッシュができるとか。いいなそれ。

生きてて時々無性に自信がなくなる時がある。理由としてはっきり「これだっ」ていう時もあるし、周りの人の才能とかに触れた時「うわっ、私って無能」って感じたりした時だったりするんだけど、こういうのって死ぬまで続くんだろうか。
いくつくらいになったら「そんなもんだー」って開き直れるようになるんだろう。
最近は思考の終着点を「人それぞれ」って事に落ち着かせる事にしてるんだけど、出来事に直面した瞬間はやっぱり心が右往左往する。内容がどうであれ感情って物があるからやっかいな事だ。

かといって「えっ、これでいいわけ?だったら私だって捨てたもんじゃないじゃん!」なーんて、若干上から目線で物事を見ちゃったりすることもある。
どこを目指してるんだか自分でもわからない。どこ?なに?目指すってなんだ?みたいな。

コモドドラゴンが好きなんだよな。獲物をひと噛みしたら後は獲物が弱るのをじっくり待つ。そしてその獲物が弱ったところにゆっくり近づいていって食べる。慌てなくても最終的には俺のもの。最初のひと噛みに全力を注いで、強力な神経毒さえ注入する事が出来ればこっちのものだ。

そんな生き方に憧れる。

そっか。
私が目指すのは「最初のひと噛み」が出来る強さと、その時にお見舞いする「最強の神経毒」を備える事なんだ。
おーーー、ありがとうコモドドラゴン。

最終的にはどうなんだ?っていう余裕をもって、今現在の日常を俯瞰できるような人になりたい。

私がクズクズ言ったりすると、お父さんがいつもこう言う。
「〇〇さんは、大きく構えてればいいんだよ。それで大丈夫だ」って。

まあ、こんなんでもここまで生きて来れたんだからそうなのかもなと、その言葉を思い出して心の栄養にする。

お父さんの宝物のミカンの木(鉢植えなのに立派な実をつけて、おまけに甘い)に新しい土と栄養を入れてあげたいらしいから、一緒に買いに行ってあげよう。

何にでも栄養は大切だし、栄養を与えれば前に進めるんだったら、確かに「大丈夫」だ。

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