新鋭短歌シリーズ39 歌集『ちるとしふと』千原こはぎ(書肆侃侃房)を読んで
ありふれた、でも、たった一人の女性の生き方。
この歌集の中で描かれている主体はそんな全ての人々のことであり、同時に全く同じではいられない全ての一人ひとりのことである。
すべてから置き去りにされているような心地してたぶんありふれている/千原こはぎ「それはさておき」
著者は大阪生まれのイラストレーターでデザイナーの千原こはぎさん。本書の装丁・装画・挿絵もすべてこはぎさん本人が手掛けているというから驚きだ。シンプルなタッチと白を生かした色彩豊かな絵が素敵で、目を引く。
略歴によれば、中学時代に祖母の影響で短歌に出会ったという。現在の年齢には触れられていないため正確な歌歴は分からないが、若手の中ではかなり長いだろう。これまでにもさまざまな短歌に関する企画・イベントを手掛けており、僕も昨年末に募集のあった2人1組で返歌して作る「Re:Re:短歌」に参加させていただいた。
さて、本書『ちるとしふと』は主にイラストレーターとしての職業詠と多様な相聞歌で構成される。8割は恋歌で、これほどまでに女性の視点から恋を詠い上げるものだから俵万智さんの第一歌集『サラダ記念日』を思い出した。俵さんはその後も基本的に相聞歌が多かったが。
存在をときどき確かめたくなって深夜ひとりで立つ自動ドア/千原こはぎ「2番線ホーム」
一人暮らしを始めて存在の曖昧さを確かめるように詠う巻頭の連作の一首。存在確認の歌であり、それを機械に託すことでまた寂しさを膨らませる。
恋歌では本書の中での主体は激しい。激しいというのは感情の起伏のことだ。不甲斐ない愛があったと思えば、新しく好きな人ができ、あんなに沈んでたくせにあっという間に無敵になる。無敵になったかと思えばまたぐだぐだやり始めて、でもやっぱり好き!みたいなことの方向性である。
一本を吸い終わるまで置き去りにされることにはもう慣れていた/千原こはぎ「内耳の雨」
この夜をずっと覚えてますように一番きれいな声で、さよなら/千原こはぎ「きれいな声で」
今わたし無敵なんですこのあいだもらった星のピアスをつけて/千原こはぎ「星のピアス」
そうこれは癖です近づき過ぎたあとそのぶん離れようとする癖/千原こはぎ「癖」
まどろっこしくて、でも、そこがまた真実味を帯びている。イラストレーターという職にあって、一枚の絵にストーリーを閉じ込めるという日々の鍛錬が歌に場所を移しても生き生きとしているように思う。少し誇張した心理的な動きに思えるかも知れないが、ふと考えると実際、人ってこんなもんじゃないかとも思わせてくれて、人間の単純さや間抜けさを改めて痛感する。
また、職業詠は冷静でまた面白い。
目のツボを押さえて肩をほぐしつつキラキラ女子を描き上げていく/千原こはぎ「Ctrl+Z(アンドウ)」
「うちの子も絵が大好きで」「そうですか」なりたい人であふれる世界/千原こはぎ「笑っておいた」
といったように華やかと思われがちな世界の現実を突きつけていて、楽しい。
全体を通して言えるのが、すごく読みやすくて、初めて短歌に触れる女性には特にオススメしたい。俵万智さんの『サラダ記念日』の世界観にどこまで今の若い女性がついてこれるかは分からないが、少し生き辛い今の社会の等身大の姿として本書はとても共感できると思う。
加えて、短歌をある程度やってきた人には、連作の編み方という視点でとても参考になるのではないかなと思う(僕はそう思っている)。飾り過ぎず肩の力を抜いた状態で分かりやすいし、各章がストーリーで、全体も一つの物語になっていて連作へのハードルを下げてくれる。
最後に、こういう相聞歌を詠むとどうしても「作者=主体」の話が出るし、短歌に初めて触れたり、触れて間もなかったりする人なんかには千原さんは「色んな恋を経験したのね」とか、「考えすぎ」とか言われるのかもしれないなぁなんて余計なお節介。では最後は本書最後の連作より好きな歌を。
さぷさぷと雨靴で切り裂いてゆく今朝公園は遠浅の海/千原こはぎ「春のひなたに」
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新鋭短歌シリーズ39
千原こはぎ『ちるとしふと』
2018年4月16日発行
発行 書肆侃侃房
定価:本体1,700円+税
詳細: http://www.shintanka.com/shin-ei/
購入:Amazonで「千原こはぎ」または「ちるとしふと」で検索
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#tanka #短歌