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♯05 「問い力を鍛える」 <~中編:問いの深淵を覗き込む~>


今回の一言:「私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ。」 (ソクラテス)


(この号は約2分半で読めます)

重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを探すことである。

ピーター・ドラッカー


成長が著しかった20世紀は、新たな問題が次々に発生した時代。
その時代では、その問題を解決する答えを持っている人や企業、職業が圧倒的に有利な世の中。
大量生産に適した「大企業」、問題解決のための知識や経験豊富な「ベテラン社員」、高度な専門知識で問題を解決する「医師や弁護士、会計士」等の「師士業」が力を発揮した時代でした。

そして現代。
モノや情報があふれ、「問題解決型商品」や「専門的知識」がコモディティ化(一般化)し、その価値が大きく減退している21世紀。

そこでは、新たな問題に気付き、世の中へ問題提起する力。
「問いを創る力」が求められる時代になりました。

では、「問いを創る力」とは何でしょうか?

安斎勇樹 「問いのデザイン」より抜粋


ベストセラーになった「問いのデザイン」の著者安斎勇樹さんによると、設問には3つのタイプがあると言います。
その3つとは、1.質問 2.発問 3.問い

<1.質問> は、答えを知りたい人が答えを知っている人に聞く問いかけ。
診療の場面で言えば、患者さんが先生に「先生、どうして高血圧だとお酒の量を控えなければいけないのですか?」と問いかけをするのが「質問」ですね。

<2.発問> は、答えを知っている人が、答えを知らない相手に対し、自分自身で考えてもらうための問いかけ。
たとえば、生活習慣を中々改めない高血圧な患者さんがいたとします。その際、先生がその問題点を説明するのではなく、「その状態でお酒を飲むと、どんなことが起きると思いますか?」と、患者さん自身に答えを預け、主体的に考えてもらう問いかけが「発問」です。

<3.問い> は、問う側も問われる側も、答えを知らないのがポイント。
対話のなかで、創発的にそのゴールを探り続けるのが「問い」です。
たとえば前述した、高血圧の患者さん。生活習慣の重要性を理解し、その努力もしているけど、なかなか改善できない患者さん。その患者さんに対して、「生活習慣を改めることって、どうしてこんなに難しいんでしょうね?」と問いかけ、一緒に考えを深めていくのが「問い」。

前号で「バカの山」の話をしました。

「先生」と呼ばれる職業、「ベテラン」の人、「権威」ある人ほど、一度登った山に安住してしまう傾向にあることも伝えました。

そして、「先生」「ベテラン」「権威のある人」に共通するのが、「”現状”の問題を解決する知識や経験を、豊富に持っている」点。
前述 <1.質問> に対する答えを、最も有する人たちです。

私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ。

ソクラテス 無知の知


「無知の知」として知られる、とても有名な言葉ですね。
最近よく耳にする「アンラーニング(unlearning)」。
これも、「無知の知を自覚しよう。そして、自分の知識を一旦手放してバカの山を下り、一から新たに山を登り始めよう」という意味ですね。

しかし、バカの山での安住は、私たちの本能に書き込まれたデフォルト機能。
「アンラーニングしよう!」と口で言うのは簡単ですが、現実では困難を極めます。

そこで威力を発揮するのが、<3.問い> を創る力です。

この「問い力」を鍛える修行で、一番分かりやすいのが「禅問答」。

禅僧が真理を体得するため、答えのない問いを内省し続ける修行が禅問答ですね。

禅僧のような高尚で深い問答は、私たちにはできません。
座禅を組み、「生きるとは?」を自分の内なる心に問い、自己との対話を通じて真理を追究する内省術も、私たち一般人は持ち合わせていません。

ただし、禅問答にはたくさんのヒントがあります。

「問いを創る力」3部作の最終号となる次号では、禅問答を参考にしながら、具体的な実践方法について一緒に考えていきます。


<<問い力を鍛える3部作>>

第一部: なぜ「問う力」は希少価値なのか? (前号)
第二部: 問いの深淵を覗き込む (今号)
第三部: 問い力を鍛える 実践編1/2
   
 問い力を鍛える 実践編2/2

~次号の「問い力を鍛える 実践編1/2」を読む~


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