例え箱根駅伝を走れなくても、これまで積み重ねてきたものの重みは失われない
「箱根で走る(選手たちの)後ろ姿を見ながら、今のこの状況を思い出して泣いちゃうかもしれない。こいつら、あんなに頑張ってやってきたんだよなって」
昨年6月に帝京大学駅伝競走部を取材した際、中野孝行監督はそうつぶやきました。箱根駅伝の取材をするようになってからいつも思うことなんですが、箱根駅伝を走る10人の選手だけではなく、ここまで頑張ってきた選手みんなに「よく頑張ったね」と伝えたいです。特に今シーズンはいつにも増して。
私の兄もかつて箱根駅伝を目指していた選手でしたが、1度も走ることなく引退しました。1年生の時が一番近かったようで、区間エントリー発表ではメンバー入りしていましたが、他言しないことを前提に、当日は走らないということを事前に教えてもらっていました。今大会は当日変更が4人から6人に増えました。それでも中央大学の藤原正和監督が「本当は自分が走らないことを人に言えず、苦しむことをさせたくない」と話されていたように、監督もいろんな思いの中で決断しているんだと思います。
兄の話を少し。兄は中学校で陸上競技を始め、全国大会(全中)に出場しました。高校は県内一の強豪校に進み、全国高校駅伝(都大路)も走っています。ちなみに年末に迎える私の誕生日にと、都大路の帰りに京都で買ったお土産をプレゼントしてくれました。「妹にさ……」とか言いながら買っていたんだろうなと想像すると照れくさくもありましたが、素直にうれしかったです。
スポーツ推薦で関東の箱根常連校に進み、箱根駅伝を目指して4年間、陸上を続けました。夏合宿で北海道に行ったという話を聞いて「いいな」と私は返していたんですが、「ジャガイモ畑の農夫もいいよな」と聞いた時は、なかなかしんどいんだろうなと受け取りました。都大路を走ったんだから箱根駅伝も走れるだろうという思いは、親にもあったと思います。そんな親の期待を背負っているだろう兄とは、せめて私は陸上の話をしないようにしようとしていましたが、大事な試合で結果を出せずに苦しんでいたということをなんとなく知っていました。
最後の箱根駅伝でエントリーメンバーから漏れ、兄は年末に帰省しました。また東京に戻り、最後の箱根駅伝を応援する側で終えました。
あれから十数年経ちました。私が今、どんな媒体で記事を書いているか、兄はよく理解していなかったようですが、ある時に私が書いた記事に出くわしてびっくりしたようです。兄の後輩たちも頑張っているようだよと伝えると、「そうなんや」と少しうれしそうにもしていました。
「卒業論文は箱根駅伝」と兄は言っていましたが、本当にそうだったと思います。箱根駅伝の記録に兄の名はありません。それでも最後まで走り続けたことを誇りにしてほしいし、それが今につながっているんだと思っています。
箱根駅伝の事前取材である選手が「自分が今ほど注目されることはないと思う」と話してくれることがありました。良くも悪くも箱根駅伝は注目度が高いですが、これから長く続く人生が輝きに満ちたものになるように、今のこの悔しさも喜びも大事にしてほしいなと、学生たちに接しながら願っています。