謝罪はプライドや自尊心を考え始める前に
力があるわけでもエリートでもなんでもないのに、プライドも自尊心も高い私です。勝負には勝ちたいし、仕事現場でも「この中の誰よりもいい仕事をしたい」という気持ちだけはいつももっています。
思えば最初の決定的な挫折は高校時代の部活動でした。小中学校の時にもスポーツはしていたものの、高校ほどの熱量ではありませんでした。最後の大会で自己ベストではあったものの、7位で続く大会を逃しました。努力が足りませんでした。でも当時は「頑張っても届かないものはあるんだな」と思い知らされたものです。ですがそれ以降、大学受験や就職活動などで何度も挫折を経験。「私はスロースターターだからな」とか思いつつ、最後に笑えるようになんとか踏ん張っています。
私は納得いかないことに対して謝罪するのがとっても嫌でした。管理職をしていた時、部下のミスや不祥事で社内外にお詫びをしないということが何度かありました。中には、過去の問題が発覚したものの当時の関係者は全員退職していたため、私にお鉢が回って大炎上の矢面に立たされる、ということもありました。「私のせいじゃないのにな」。そう思いながら対処していた時、学校の教師をしている姉から「自分のせいじゃないなら気が楽じゃない」と言われました。謝って済むならとっとと謝り、あとは忘れなさい、と。
このご時世、教師はいろんな悩みと苦痛を抱えています。小学校の先生をしている友人から聞いた話では、修学旅行先で我が子が伝えていたメーカーとは違うお菓子のお土産に買ってきたため親が怒り、結果、担任と教頭が家にお詫びに行ったということもあったそうです。すごいな……。
場合によっては謝らない方がいい時もあります。でも、状況を見て、自分の中で割り切って、スパッと謝った方が早くて傷が浅いという時はあります。それは処世術というよりも、自分の精神衛生を保つ方法なんだと、次第に理解できるようになりました。
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