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根っからの自分らしさ

私の周囲には根が真面目族の人々がいます。そんな方々に囲まれると、自分もつい、その仲間入りをしたような気がしてきます。

でも、正直に言うと、私の真面目さは「仮面」だと思うのです。
心の奥底では、根っからの不真面目さが顔をのぞかせている感覚があるからです。

若かった頃のこと。あの頃のパートナーが、私にこんな言葉をくれたことがあります。「君って、根が不真面目だよね」。その瞬間、内側で笑いが込み上げてきました。

いま振り返ると、あれは、「自分はこうだ」と感じているものと一致した喜びだったんだと思います。仮面の真面目さもきっと私の一部。でも、それだけじゃなくて、自由で気楽な根っこの部分があるからこそ、私は私でいられるのだと思います。

仮面としての「真面目さ」と、本質としての「不真面目さ」が共存する感覚も、悪くないものです。むしろ自分の面白さの一部です。真面目さも不真面目さも、それぞれの場面で役立つ特性ですから、どちらかを否定する必要もありません。

ちなみに、真面目族の中でふと自分の仮面を意識する瞬間があるということは、そこにいる人々や環境に対して、適応する柔軟さを持っている証拠でもありますよね。

真面目族と一緒にいるときはそのリズムを楽しみつつ、ひとりのときや親しい人といるときは、根っからの自分らしさを存分に出す。

そして、この根っからの不真面目さのおかげで、仮面の自分に対する罪悪感がないのです。周囲の期待に応えて真面目な顔を装うことも、ある意味では一つのスキル。それが私の本質そのものではないと知っているからこそ、内心、「別にいいんじゃない?」「どうでもいいけどね」といった感じです! 


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