喜び
最近、本を読むことができなくなりました。
文字を目で追うことが億劫になってしまったのです。
それが理由で、音声で聴くスタイルに切り替えました。
聴きながら他のことができるし、集中力がなくてもOK。
幼少期から軽度の失読症に悩んでいたため、読書は苦手でした。
私にとって、まず読むこと自体が大変で、さらに内容を理解するのは至難の業です。
なので、読み上げてもらえば助かります。
映画のように、観て聴くのもあまり好みではないのです。
見る時はただ見ていたいのです。
写真ならそれが可能です。
若い頃から写真が好きだったのは、そんな理由からだったのかもしれません。
一時期は、フィルムの現像だけ避けて、焼き付けと引き伸ばしを楽しんでいました。
あんなに楽しいことを止めてしまったのは、空き巣が入り、ネガや写真を保存していた袋を奪われてしまったからです。
その後は写真を撮ることへの興味もうせて、次第にデジタルカメラの時代が来て、今では全く違うテクニックが必要になりました。
あれ以来、特に写真に興味を持つことすらありませんでしたが、つい最近になって当時のカメラを楽しんでいた頃の感覚を少しだけとりもどしました。
あの頃はナショナルジオグラフィック写真家でもある某カメラマンと知り合い、私の撮った写真を見て、「素人でも撮り方を分かっていて上手い写真を撮る人はいる。そういう写真からは何も感じないが、あなたの写真はとても興味深い、おもしろいよ、私には撮れない!」と言っていただきました。
なんの目的もなくただ夢中に遊んでいたんだから、おもしろい写真だったのかもしれませんね。
そんな楽しい写真たちはもう手元にはないのです。
失った物は帰らないけれど、あの喜びは盗まれていない。
喜びの源泉は、今も、いつでも、自分の中心にあって、喜びは、そこから湧いていることを忘れてはいけない。
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