悩み万歳!
人生の醍醐味のひとつは、自分自身の成長を味わうことではないでしょうか。
未熟さゆえに生きづらかった部分が成熟して楽になると、満足感が広がります。
先日、好きなことだけをする贅沢三昧な二日間を過ごしたある瞬間、何かが足りないことに気がつきました。
悩みがないんです。
どこを探しても見当たりません。
悩み方を思い出せないんです。
それで何度も悩もうとしてみたけれど、無理でした。
数日後、たまたま観ていたYouTubeで、「実は私、今悩んでいるんです」と突然言い出したのを耳にして、期待しました。
「悩み方ってどんな感じだったっけ?」と興味が湧いたからです。
その悩みは、自分の新しいニックネームが思いつかず悩んでいるというもので、一緒に考えてほしいとファンに呼びかけていました。
でも、それは悩みでもなんでもなく、むしろ楽しいことでは?と思いました。
新しい名前を考えるのって、楽しそうです。
単に視聴者を参加させるためのテクニックの一つだったのかもしれません。
それでも、改めて悩んでいる状態を思い出させてくれました。
なんだか無駄に言葉を使っているなと思いました。
「ニックネームを変える必要があるんですが、思いつかないので、一緒に考えてください」と言えばいいだけなのに、わざわざ「悩んでいます」って言うところが気になります。
それとも、悩むって実は楽しいことだったのでしょうか?
実際、深刻に悩んでいる時は、悩んでも解決しないことを悩んでいますよね。
解決したいなら、それなりの行動を取る必要があります。
でも、自暴自棄の人にはそれができない。
悩んでいる状態が、避難所のような役割を果たしているのかもしれません。
悩みが時に行動を避けるための手段になったり、場合によっては楽しみの一部やコミュニケーション手段になることがあります。
友達が恋愛について悩んでいた時、二人で朝まで語り合った時、「実は私、こういう時間も楽しいの」と言っていました。
気持ちを大切にするあまり悩んでいたり、その重みで動けなくなることもあるかもしれません。
悩みにも味わいがあって、物事の表面だけではわからないことがあります。
違った視点から物事が見えるようになることは、まさに成熟の証であり、満足感を得る瞬間です。
あらゆる醍醐味を味わう経験が、さらに人を成長させるのでしょうね。
人の成長とは、一言で言えば深みだと思っています。
深い人は同時に高みに立っています。
高いところから広く世間を見渡すことができる。
そんな心にはユーモアが溢れていると想像します。
私ですら、「完璧主義」という響きがおかしくて仕方ありません。
「完璧主義者」と聞くだけで、笑いを抑えられなくなります。
見下しているわけではありません、むしろ愛おしいのです。
「真面目に完璧主義を貫いているね」
「悲しいね、完璧主義者」
寄り添ったら笑いに変わりました。
そういうものなんです。
笑いに変わった時、それから離れられている、克服している、もう大丈夫と思ってよさそうです。
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