思い込みは幻想
物心がつく前の出来事は、周りの人々の話を通じてしか知ることができません。これらの話は本当に事実なのでしょうか。話をしてくれる人は嘘をついているようには見えませんが、個人的な感情や記憶の曖昧さにより、客観的な事実から少しずつ遠ざかっているかもしれません。
他人の曖昧な話に心を乱されるくらいなら、それらを単なる空想として片づけることにしています。そもそも、真偽の分からないことに時間を費やし、深く考え込む必要はありません。
思い込みは本当に厄介なものです。自分の経験から生まれた思い込みでさえ、おそらく真実とは無関係なのでしょう。思い込みから生まれる心の傷は、無意味な苦しみに過ぎないのです。
ある時、私はある人との出会いを通じて、深い感情的な経験をしました。"その人"は、私を大切にしてくれているはずの人が、私の知らないところで失礼な発言をしていたと告げました。しかし、後になってその話は完全な作り話だったことが分かりました。
私が傷ついたのは、自分で作り上げた思い込みのせいでした。「信頼していた人は、実は私のことを大切に思っていなかったのだ」と考え、深い悲しみに包まれました。
さらに後日、"その人"には特殊な背景があることを知りました。幼い頃の事故で片耳の聴覚を失い、コミュニケーションに困難を抱えていたのです。私は正面から"その人"の嘘について追及しました。すると、その人の発言の多くが虚言癖と関連していたと理解しました。
今、私にできることは明確です。これ以上、思い込みを作らないことです。聞いたことや見たものについて、すぐに判断せず、謙虚に「実際のことはわからない」と認める姿勢は、心身の健康にも良い影響を与えるでしょう。