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日航123便墜落事故(事件)②〜あの日、あのとき、123便から発せられた緊急事態通知「スコーク7700」により、自衛隊のファントム2機は本当にスクランブル発進したのか???

 1985年8月12日の発生から36年と半年という長き時間を経ながら、依然、疑惑や謎に満ち溢れたままの日航機123便墜落事故(事件)。

 自分は多くの(ちまたで呼ばれる)陰謀論者よろしく、事故調査委員会の公式報告書の内容や、2000年に流出公開されたボイスレコーダーの内容に改竄含む疑義を抱く者だが、今回、本稿で今一度考えてみたいのは、例の自衛隊百里基地(茨城県)からのファントムのスクランブル発進について。

 公式見解を基にしたwikiには次のように書かれている。

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 ゆえに、発進時間は墜落後約5分後の19時01分。

 一方、事故に疑惑を抱く者の間では、18時24分のインシデント後、123便から発せられた緊急事態通知「スコーク7700(セブンセブン)」(18時24分47秒)を受け、自衛隊の百里基地(茨城県)からすぐに飛んだことが概ね定説になっている。

 どちらが本当なのか。疑惑派の説の拠り所は、インシデント後10分ほど後(18時35分頃)の静岡県・藤枝市での目撃情報だ。北上する123便を追うかのように(5分以上の時差)、ファントム2機が西側から飛んできたというもの。

 実際、それは飛んでいたのだろう。だが、それはスクランブル発進した機だったのか? 同じ陰謀論者ながら、自分の中で疑問が生じることになる。

①スクランブル発進というものはどこまで迅速にできるものなのか。「スコーク7700」から藤枝上空出現まで10分ほどしかない。
②そもそも、「スコーク7700」はどれほどの緊急事態通知、要請なのか。

 ①については、ヤフー知恵袋に載っていた「スクランブル発進」における回答を見てみる。

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 根拠はヤフー知恵袋かい? と侮るなかれ。複数の同様の回答が寄せられているというのは、まあ、(自分の利用経験上)ほぼほぼ信じていい内容と思われる(同質問には10の回答が寄せられている由。今回はそこから2つを抜粋)。むろん、ほかのスクランブル発進に関する複数の文章にも目は通した。

 10分で藤枝上空到着は、かなり難しいのではないか。いや、問題は②だ。民間機の、しかもなにが起こったか不明な「スコーク7700」で、「はい、わかりました」と二つ返事で自衛隊機が飛ぶものなのか。上層部からパイロットに離陸命令が出るまで、そう長くはないにせよ、状況分析、判断において相応の時間が要するものではないのか。

 当時は冷戦の時代であり、「ソ連機の侵犯」対応でパイロットは常時コクピットに待機していた? とも考えてみたが、対ソ連なら北海道の千歳基地が真っ先に対応しているだろう。

 調べてみたところ、「スコーク7700」というのは、案外、頻繁に発せられるものらしい。「機体になにか不具合が発生した場合」から「急病人発生」まで。鳥がエンジンにぶつかるバード・ストライク勃発の際にも発せられるものらしい。

 ここにおいて、123便の「スコーク7700」で百里基地からファントムが2機飛び立ったという流れはどうも信憑性が薄いと言わざるえない。事故調の報告における「18時56分・墜落の疑い→19時01分・スクランブル発進」のほうが、状況とプロセスにおいてはしっくりくる。

 それじゃあ、藤枝上空の2機はなんなのか? というと、その時間帯(18時台)に近辺を元々飛んでいたものと考えると辻褄が合う。というか、そのファントムは自衛隊機だったのか、はたまた米軍機だったのかということは、事故疑惑派の間であまり論点になっていないのが気になる。

 なぜ、その時間にファントム2機が飛んでいたのか? については本稿では触れず、それは機会をあらためて。その点に関しては、目下、ソレ系のYouTubeを中心に語られている仮説――疑惑派ないし陰謀論派の方々の結論と自分のそれはそう違うものではないと記しておきたい。

 重ね重ねあらためて称するに、自分は事故に多大な疑念を抱く陰謀論者(その呼称で自分はかまわない)であるが、ファントムのスクランブル発進においては、事故調の公式見解を信ずるという。ただし、「いや、早々のスクランブル発進は実際あったのだ。ただ、向かったのは藤枝(静岡県)方面ではなかった」などといった画期的反論がもしあれば、しっかり耳を傾けたい次第。

*後日後記。18時40分頃、群馬県吾妻郡東(あずま)村で帰省中の自衛隊員が目撃したという「自衛隊のファントム」2機。こちらがスクランブル発進した機なのか? については、あらためて別稿で触れたい。

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