日航123便墜落事故(事件)㊵〜あの日、123便墜落の前に3つの場所で目撃されたファントム2機は同一のものなのか?
ライター・織田祐二 あの日、123便墜落前に地上から目撃されたファントム2機。18時35分に静岡県藤枝市上空、18時40分に群馬県東(あずま)村上空、18時45分に群馬県上野村上空でそれぞれ目撃されているわけだけど、これらって、はたして、同一のものかしら?
ライター・ニイゼキユウジ(『ブッチNEWS』『メンズサイゾー』など) 陰謀論派はたいてい同一のものとして取り上げていますね。うーん、同一と断じるというよりは曖昧な言い方というか……
織田 そんな感じ。18時40分の東村のやつは非番の自衛隊員の目撃ということで、「自衛隊のファントム」と断定しているわけだけど、ほかの2機は自衛隊機として断定していいのか微妙なんだよね
ニイゼキ 自衛隊機じゃなければ米軍機……
織田 藤枝市のやつは、123便が発信したスコーク7700(セブンセブン)により茨城県の百里基地から緊急発進したものと陰謀論派の間では信じられているけど、じゃあ、その2機があっさり123便から離れて、なにゆえ群馬県の中央部に位置する東村まで飛んでいったのか、説明がつかない……。つくかしら?
ニイゼキ 容易にはつかないですよね。飛躍した妄想を言うなら、墜落場所を確認しに行ったとしか。いや、あくまで妄想の話です(汗)
織田 仮に同一の2機なら、自分もそういう邪推は必然的に浮かんでくる。このあたりの流れをクリアにしないと、陰謀論派の自分でもいまいち腑に落ちない
ニイゼキ 上野村の子供たちが見た「大きい飛行機と小さい飛行機2機」も、当初は「なるほど」と受け入れましたが、「大きい飛行機は米軍の輸送機だったんじゃないか」という説を目の当たりにすると、そちらも頷けるんですね
織田 子供たちはあくまで「大きい飛行機」と称しているだけで、「ジャンボジェット」とは言ってない。「大きい飛行機=ジャンボジェット」と解するのは、よほどの証拠、自信のある目撃談じゃないと危険だと思う。で、それは「小さい飛行機」も同様で機種の特定は単純じゃないと思う
ニイゼキ 時間から言っても、123便が墜落した18時56分の10分ぐらい前の目撃。やはり、早すぎると言わざるえない。ただ、一方で米軍機なら米軍機で、そんな時間にそんな場所でなにをやっていたんだという疑問が生じてくる
織田 くだんの東村の自衛隊員の目撃談も、ファントムが飛んだ方角がいまひとつわからないんですね
ニイゼキ フツーに受け入れれば上野村方面の南と言えそうですが、時間は墜落より15分ぐらい早い時分。東西南北、どっちに飛んでも時間的余裕は十分ありすぎる
織田 時間的余裕といえば、仮にファントムがスクランブル発進したなら、茨城の百里基地から飛ばすより、愛知県の小牧基地から飛ばしたほうがよさそうなんだよね
ニイゼキ 一部ネットでも書かれていますが、非常時で考えた場合、追いかけるよりは待ち受けるほうが効率的な感じがします
織田 スコーク7700発信の時点では、羽田に戻りたいという話はまだ出ていなかった
ニイゼキ 確かに事故調査委員会や自衛隊の報告が示すように「百里基地からファントムが発進したのは19時1分」は事実であるものの、それ以前に密かに小牧基地から飛ばしていた……というのは案外しっくり来る
織田 あくまで陰謀論の中で
ニイゼキ さすがに一部で語られているソ連機が日本上空に侵入して事故に絡んでいるという説はありえないですよね
織田 さすがにね。ただ、当時の社会党や共産党の国会内での追究や動きをあらためて振り返ってみるに、いつになく妙に鈍いような感がなくもない
ニイゼキ ソ連機の話はまあ別として、あの事故は、政府に対する反米左派政党の格好の追究事案になりそうなものなんですが、結果的にそうはなっていないんですね
織田 不思議なところですね