日航123便墜落事故(事件)㉜~当時、浦和市(現・さいたま市浦和区)に住んでいたプロカメラマン・吉岡さんの貴重な目撃談。先日たまたまその地に行く機会があったので、どんなふうに見えたのか、雑感を書いてみる
当時、『朝日新聞』に載った、プロカメラマン・吉岡功治さんの目撃談。「見る」ことに関してはプロフェッショナルなカメラマンだけに、自分の中では特別な感慨のある目撃談といえる。
先だって、たまたまその地(武蔵浦和駅近辺)に行く機会があったので、どんな感じで見えたのか、当時に思いを馳せつつ我が目で確認してみた。
白幡は武蔵浦和駅から見て、東~南東を占める地区。
駅の真西にはいくつもの高層マンションが立ち並ぶが、1985年当時はなかっただろう。高架も当時はまだされていなかったはず。
ただ、高層マンションを抜きにすると(要は1985年当時)、西側の視界は頗る開けている。白幡から西を臨み、そこらに高いビルはない。
あるのは、南北に連なるロッテの工場と……。
千葉ロッテの室内練習場。ただし、この練習場は1985年にはなかった由。
当時、吉岡さんが何階に住んでいたかは不明だが、部屋から123便が見えたとしたら、ロッテの工場の上に見えたということか? そうして、工場の上に見えたなら、機は案外、それほど遠くじゃない空を飛んでいたのかもしれない(余談ながら、同工場はいまの感覚でいうと高い建物には感じられないが、当時としては十分高く感じられた気がする)。
地方ならではで(西の)遠方の視界は開けており、吉岡さんは南から北に飛ぶ機体をじっくり目で追うことができたのではないか(新聞の「北の方へ消えた」という書き方しかり)。
機が飛んだ場所を推測すると……。
飯能市か狭山市の上空あたりだろうか。
個人的にロッテの工場の高さと連なりを確認できただけでも、十分収穫ありなのだった。
*追記。書き終えてからわかったが、武蔵浦和駅ができたのは、123便墜落事故の翌月なのだった。8月12日は建設作業の真っ只中だったか。