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日航123便墜落事故(事件)・第74回〜事故調査報告書の経路とは異なり、静岡県の大井川より西を飛んでいたらしい123便。必然、そこから考えが及ぶこととは?

あの日、123便を静岡県の大井川より西の地域で目撃した人がいた。詳しくは、下のYouTubeを観ていただきたい。

本稿サムネ画像の青線が大井川。となると、コメントでやりとりさせていただいた某氏の言うように、

ということになりそうだ。

事故調査委員会が示した123便の飛行経路



そうして、そうなると、頭に浮かぶことが一つ。焼津市(1985年当時は合併前で大井川町)にある航空自衛隊の「静浜基地」だ。

左の川が大井川。基地から直線距離で3キロぐ
らい。基地から焼津市街までは東に10キロ弱


動画主が言うように、焼津市方面から飛んできて、大井川を越え、山を越えてきたというのであれば、その過程で機は確実に静浜基地近辺上空を通ったはず。

だが、同基地の隊員の目撃談はまったく聞いたことがない。あえて言うまでもなく、航空自衛隊員は航空のプロ中のプロであり、付近を飛んでいれば、その様を細かくチェック、精査するだろう。それ以前に、防衛庁等から事前に「注視せよ」といった伝達があっただろう(いや、仮に基地近辺まで機が来ず、基地の手前の東で旋回したとしても、最低限管轄区域において終始監視はするだろう。空のプロなのだから)。

どうにも解せない。やはり、ここでもなにかが隠されている気がする。

実は自分は1989年秋から1991年秋まで丸2年、焼津市や藤枝市(青山氏の著作でお馴染みの目撃談の町)で過ごしている。あの地域の地理はなんとなく頭に入っている。あの間、何十何百と接した人間に123便についてなに一つ聞いていないことが悔やまれる。当時は事故後わずか4、5年であり、なにか見たり、知っていたりすれば、皆の記憶はまだまだ鮮明だったろう。

青山透子氏の著書『日航123便 墜落の
新事実』より。藤枝市での目撃情報


まあ、当時の自分は二十歳ぐらいで、本事故にはまったく関心がなく……。いまさら悔やんでみせてもまるで意味がないのだが(汗)。

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