日航123便事故究明動画『ワタナベケンタロウ動画』最新回の内容が凄すぎる。「あの日、19時前にテレビで速報はあったか?」論争に、ついに終止符が!?
事故調査委員会支持派と反・事故調査委員会派の間で尽きない論争の一つである「あの日1985年8月12日の19時前に、テレビの速報が流されたか否か」。
事故調査委員会の報告書では、19時過ぎの時事通信~NHKの報道が始まりとされる。「テレビの速報の時間がそんなに大事か?」の声もあるが、
●123便がレーダーから消えた時間
●その一刻一刻の機の高度
●飛行位置
などが関係し、いつから政府筋、日航、自衛隊などがその緊急状況を把握していたかが問われるので、極めて重要な事項となる(30分速報が早ければ、事態は当然大きく変わってくる)。
依然、録画(当時はビデオ録画)を伴っての証拠は皆無だが、123便事故検証動画『ワタナベケンタロウ動画』が最新回にて、ついにやってくれた。
完全な公文書(公文書請求番号あり)として、「19時前のテレビ報道を受けて、内閣官房内が慌ただしく動き始めた」旨記された文書が残っているという。
これは重く受け止めなければならない。事故調査委員会の報告書より上のランクの文書とは、自分はあえて言わないが、いや、公文書だから。
それをXに書いたところ、あの事故調査委員会派の親玉的某(プロカメラマンを自称するが、本名を絶対名乗らない不思議な人物。どの程度のプロカメラマンかは推して知るべし。プロライターは本名で書く)から「こんなのはメモ書き」と反論来たので、「メモ書きでも公文書は公文書」と返したら、「それはそのとおり」と(意外に素直だったりする)。
とりあえず、納得できないのはよい。ただし、反論は今回の文書の内容、経緯を自身でしっかり調べて把握していただいたうえで、論理的にやっていただきい。事故調査委員会派の常套句「陰謀論派は事故調査委員会の報告書をしっかり読め」を、そのまま返す次第。
『ワタナベケンタロウ動画』第150回は、もっと多くの人に見てもらいたい。現状の2万6千回視聴では少なすぎる。
今回の内容では、もう2個ほど特大スクープが提供されたのだが、それについてはあらためて触れたい。まずは視聴していただきたい。