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のちのち分かるありがたみ

ライターとしてtwitterをはじめてから、大学時代にお世話になった教授の記事や書籍を見かけるようになった。

いま思えば大学の頃、とても贅沢な環境にいたんだなぁと思う。でもあの時の自分には到底わからなかった。

大学で文学部に入ったものの、元々文学に興味があって入学した訳ではなかった。フランス語が勉強したかったのが理由。そのため、フランス語の授業以外はかなり苦痛なものだった。フランス史やフランス文学概論は必修科目。高校生のとき50分だった授業は、大学になると90分になり眠気はMAX。大学選びを間違えたのかもしれないと過去の自分を呪ったこともあった。

いまでも鮮明に覚えているのは、大学1年生の初めてのレポート。
テーマは「文学とは何か」で4000字以上と決まっていた。書き方なんて自分から聞かなければ教えてくれることもなく、ちんぷんかんぷんの文章のまま提出。あっさり単位を落とした。大学では自主的に動く大切さを終えてもらった。

大学教授は私にとって教えてくれる人でしかない。実際何を研究している先生なのか普段の授業だけではわからなかった。「時間に自由な働き方でうらやましいな~」なんて思っていたと思う。

当時は、ライターになるなんて1ミリも思っていなかった私。文章を書くのは苦手だったし、就活をしなかった私はライターや編集の仕事があることも知らなかった。いまライターとして働いているのは自分が一番驚いているくらいだ。

ライターになってから、教授から教わったことを思い出すことが増えた。
「あー、もっと大学の時からたくさんの本を読んでおけば」
「友達を作るとかなんて考えずに講義に集中すればよかったのに」
「あの時もっと教授に質問すればよかった」
なんて思うことは多々ある。普通に考えたらもったいないだろう。

でもあの時の自分にはきっとわからなかった。

言ってしまえば、ライターになってからその価値がわかったのだ。

あの時は私は遊びたかったし、バイトがしたかった。「いや、親のお金で通っていたんだから学ぶことに感謝しろよ」と思われるかもだけどわからなかった。少なくとも私はいまより子どもだったんだと思う。

「あのとき教授たちは授業をしながら自分の研究や執筆していたのか」と思うと素直に尊敬する。と同時に、執筆に追われる辛さとか、書けない苦悩がなんとなく共感できているのだろうかと思うと「フフッ」と笑みがこぼれる。

数年経ったいま、教授との出会いのありがたみをひしひしと感じている。



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