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チョークとダンボール(改訂版)
チョークとダンボール(改訂版)
町はずれの小さな家に住む少年、祐介は、幼い頃から空に浮かぶ雲の形や、木漏れ日の揺れる影に心を奪われていた。彼が何より好きだったのは、その美しさを絵に描き写すことだった。しかし、家は貧しく、絵を描く道具はなかった。彼が使えるのは、ダンボールと学校の先生にもらった使い古しのチョークだけだった。
チョークで描かれた祐介の絵は、どこか温かみがあり、力強さを持っていた。 住民の了承を得て壁に描いた小さな絵は、いつしか人々の目に留まり始める。貧しいながらも助け合う商店街の人々や、公園で遊ぶ犬や猫を描いた絵は、訪れる人の心をなごやかにした。
特に、商店街のパン屋の女主人は、夫を亡くして以来ふさぎ込んでいたが、祐介が描いた、懸命に試作パンを作って焼く彼女の姿の絵を見て涙を流した。そしてその日から、少しずつ店を開け始めたのだった。
祐介が高校生になる頃には、彼の絵を求める人が増えていた。 その頃には彼にキャンパスや絵の具などの画材をプレゼントする人も増えた。あるとき、近くの老人ホームの壁に彼が描いた「四季折々の風景画」は、入居者たちに大きな喜びをもたらした。その絵を見ながら、あるおばあさんは涙ながらに語った。「もう歩けなくなって、外には出られないけど、この絵を見るたびにまた、旅をしている気分になれるわ」
また、彼の絵が掲げられた小児科の待合室では、病気で元気をなくしていた子どもたちが、笑顔を取り戻していった。「この鳥はどこへ飛んでいくの?」と聞く子どもたちに、医師たちは「君たちが元気になれば一緒に飛べるよ」と答え、彼らに治療に励む力を与えた。
祐介の才能は、街の人々の支援もあって、美術大学の教授の目にとまり、奨学金を受けながら進学する機会を得た。大学では本格的な技術を学びながらも、彼は決して原点を忘れなかった。チョークとダンボールで始まったその芸術は、たくさんの人々に力を与える存在となっていった。
数年後、祐介は一流の画家として知られるようになったが、彼の絵は常に「困っている人のためのもの」であった。ある日、故郷に戻った彼は、商店街の人々の依頼で一枚の大きな壁画を描いた。それは「助け合う街の人々」の絵だった。完成した壁画を見た人々は口々に言った。「この絵を見ていると、なんだかもう一度、頑張ろうって思えるよ」
祐介の絵はただ美しいだけではなく、人々の心を癒し、失いかけた希望を取り戻させる力を持っていた。彼はその後も、生まれ育った街を拠点にしながら、世界中で「心を描く画家」として、多くの人々を元気付けたのである。