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イノベーションの考え方を変えた「両利きの経営」

はじめに

2019年、イノベーションを起こすための企業経営の新たな理論を解説し話題となった「両利きの経営」という本があります。
この本を読んでみてとても面白かったので、備忘録として要点やキーワードをまとめた記事に残そうと思いました。
自身は経営に携わる身ではないですが、それでもこの本の考え方 - 例えば後述する企業文化の大切さや評価軸の分け方など - は大いに今後の自身の働き方の参考になると感じました。

私が読んだのは、2022年に刊行された増補改訂版です。
増補改訂版では第4章と第7章が追加されているのですが、まさにこの二つの章が本書を読んでいて最も感銘を受けた部分でした。
この本は、「両利きの経営」の理論の観点から多くの企業での成功・失敗例を見ていくことで「両利きの経営」を実現するための要件を整理していく、という流れで書かれています。
第4章と第7章は、この理論の前提や別の観点を補足することで、読者により具体的なイメージを持たせる役割をうまく果たしていると感じました。
そんなわけで、ここではこの二つの章の内容を中心に要点をまとめていこうと思います。


両利きの経営とは何か

「両利きの経営」理論の目的は、いったん成功を収めて規模が大きくなった企業がその後も発展を続けていくことです。

というのも、そのような企業は一度特定の領域で価値を創るノウハウを獲得しており、それを深化する漸進的な取り組みに心血を注ぐあまり、次なるイノベーションを生み出せないジレンマに陥りやすいというのです。
この本の前半では、この現象を慣性によるサクセストラップと表現し、いくつもの大企業が凋落していった事例を解説しています。

この問題に対して両利きの経営の理論は、既存の事業を深化する組織とは別に新しい事業を探索するユニットを形成して、この全く異なる二つの方向を同時に目指す「両利き」を実現せよと提唱します。

もちろん、言うは易し行うは難しと言うことで、この実現には組織内でのカニバリゼーション(共食い)と呼ばれる大きな障壁が存在します。

カニバリゼーション

深化と探索の二方向を単純に目指そうとすると何が起こるでしょうか。

あなたは、既に成功した事業を持っており、その製品・サービスは世界一と謳われ世界中にユーザがいるとします。
あなたは、その市場拡大や満足度向上を目指して日々新しいアイデアを出して、その領域の第一人者として事業を推し進めています。

そんな中で、突如新しい部署ができて「君たちのやっていることとは全く別のサービスを始める」と言われたとします。
すると、今のサービスに自信と誇りを持っているあなたはこう思うかもしれません:

  • 今やってるサービスがこんなに絶好調でさらに収益が見込めるのに、他のことにリソースを割いている場合じゃないだろ!

  • 自分たちがせっかく出した売り上げをなぜ全く関係ないことに使うんだ!

あるいは、全く別のサービスではなく、同じ顧客に対して異なる形態で同等のサービスを提供しようと言われた場合はどうでしょうか。
例えば、紙媒体の本をたくさん売っていたところから電子書籍を始めるとか、オンプレミスのサービスでうまくいってたところからクラウドサービスを始めるとか。

  • コストをかけるだけじゃなく、今出ている売り上げを失うリスクを晒してまで新しいチャレンジをすることないだろ!

と思うでしょう。
(この文章を読んでいる人は第三者目線で新しい取り組みをしても良いと思えるかもしれませんが、従来のサービスを一から築いてきた当事者であれば特にこのような思いを強く持つでしょう)

この内部対立、つまりカニバリゼーションが両利きの経営を目指す上で最も大きな課題として顕在化してきます。

経営者は何をすべきか

深化と探索の内部対立の課題を回避するために、経営者は両者のバランスを取りながら牽引するリーダーとなる必要があります。
そのためには、何をすべきでしょうか。

本書がまず挙げているのは「心に訴えかける戦略的抱負を示して、幹部チームを巻き込む」ことです。
これはつまり、一見対立する深化と探索が実はより大きな目標のもとでは同じ方向を向いているよ、というメッセージをリーダーが発信するということです。
先の例を使えば、紙媒体の本をより売れやすくすることも電子書籍のプラットフォームを整備することも、結局のところ「より多くの人が本を求めやすくする」という目標に行き着きます。
また、この本で紹介されている良い例としては、IBMが1990年代に一度潰れかかってから再起した後、新たな成長を作り出すために「世界最高クラスの企業として自己改革する」という非常に抽象的なスローガンを掲げたことが挙げられています。

このように、より抽象的な戦略的抱負によって深化と探索の二方向を束ね、深化・探索を担当するそれぞれの幹部にこのビジョンに沿って動いているかの説明責任を持たせ、協調させていくことが重要です。
(おそらく実際のところは、このやり方にリーダーのカリスマ性が必要とされるんじゃないかなと思います。やり方に関する原則もこの本で解説されていますが、あくまで原則なので方法論として決まったやり方をするのも難しいだろうなと感じました。)

他の重要なポイントとして、対立した際に通常弱い立場になる探索ユニットをリーダーが保護することを挙げています。
つまり、探索ユニットは既存事業の深化ユニットとはある程度独立した組織として構成しておきつつも、資金などのリソースを既存事業だけに取られないようにして十分に与えることです。

この時重要なのは、深化ユニットをスピンアウトして会社として完全に独立させるわけではなく、同じ会社の中での異なる組織として扱うべきであるということです。
これによって、社内の潤沢な資源を探索ユニットに効率的に回すことが可能になるのです。
ここはよく勘違いされる部分ということで次の記事で紹介されていました: 

(さらに補足: 本書では新規事業を「戦略的に重要か」と「既存の資源を活用できるか」の二軸で四象限に分類し、両方YESの場合に上記の適度な分離を適用し両利きの経営の枠組みで扱うべきだという判断基準を設けています。ですので新規事業を何でもかんでも社内で独立させろとは主張していないことにも注意が必要です。)

また、探索ユニットの独立性に関連して、探索ユニットでは売り上げ目標の達成度などによるチーム・社員の評価ができないので、代わりに探索ユニットならではの行動基準・目標を設定することが重要である、と本書は主張しています。
既存事業には厳しい予算と利益目標を課す一方で、探索ユニットに対しては実験的な試みをすることを求めます。
この点は、後の「イノベーションの規律」の項でも少し触れます。

ここで取り上げた以外にも、本書では両利きの経営を実現するための要件、そして経営者が意識するべきポイントを整理して解説しています。
より詳細は本書を読んでみてください。

企業文化

この節で書くことは、増補改訂版で追加された第4章の内容です。

企業は、それぞれ独自の文化・性格を持ちます。
大雑把に言えば、あそこは体育会系であそこは礼儀正しいとか、お堅い企業だとか風通しが良い企業だとか、また、会社の掲げるスローガンや社員の働き方にも関係するものです。
深化と探索を両立する両利きの経営は、上で書いたように、それらをどのように抽象的なスローガンで束ねて、どのように各チームの納得いく形で運営するかが最重要ですから、企業文化は関連する要素として必然的に大きな影響を持ちます。

この本によると、文化の主な要素として以下の三つが挙げられます。

  • 無意識的な組織に対する前提認識や信念

  • 支持される規範や価値観

  • 会社のシンボル・言語・服装など目に見えるが解読しにくい人工物

リーダーシップの観点からは、直接的にマネジメントが可能である二つ目の規範や価値観に主眼を置くのが良いと述べています。

今、文化を「マネジメント」すると書きましたが、文化はリーダーが積極的に介入し、企業戦略を実行するために活用するメカニズムとして捉えられるのです。
そしてそのために、できるだけ広く狙った文化を企業全体に浸透させることが大切です。

文化の形成・変革に向けた具体的な行動として以下が挙げられています。

  1. みんなが聞き飽きるまで、リーダーが何回もメッセージを送り続ける

  2. 部門横断だったり家族・友人・顧客などを巻き込んだ社会活動・セレモニーへの参加を促し、文化形成の当事者意識を高めさせる

  3. 規範となる社員をヒーローに仕立てたストーリーを発信したり、スローガンや特別な社内用語で仲間意識を形成する

  4. 報酬制度を入念に設計する: 文化形成のためには、実は金銭的報酬では特定の行動を強化しにくく、承認・地位を利用する方が有効 (これは意外性があり面白いと感じた)

  5. 文化的価値観に合った人を評価し、訓練・報酬を与える人事制度を作る

リーダーのこれらの行動によって、両利きの経営が成功しやすい企業文化を能動的に形成することができるのです。

この章を通して、文化という人間臭い概念を戦略的に活用するという考え方が非常に面白かったです。
経営者はこういう人間臭い曖昧なものを排除して、システマチックかつ論理的に会社の方針を決めるものだと思っていましたが、ある意味その論理の出発点となる「心に訴えかける戦略的抱負」という抽象的なものを根付かせることが一番重要だというのはなるほどでした。
特に日本企業では文化をマネジメントするという考え方はあまり浸透しておらず、文化の強化は今後の日本企業の発展に重要だと考えられます。

イノベーションの規律

この節で書くことは、増補改訂版で追加された第7章の内容です。

「イノベーションを起こす」というと、皆さんはどんなことを思い浮かべるでしょうか。
隠れたシーズを掘り起こして人々の価値観を変える新しい製品・サービスのアイデアを実現させる!
私はそんなイメージでした。

この本では、イノベーションの規律として、以下の三つのプロセスを設計することを提唱しています。

  1. アイディエーション: 可能性を秘めた新規事業を見つける

  2. インキュベーション: そのアイデアを市場で検証する

  3. スケーリング: 既存の資産や組織能力を再配分して事業の成長を支援する

そして、この三つのうちの一つでも欠けると両利きの経営は成功しないというのです。

昨今、アイデア創出のための思考法としていわゆる「ブレスト」などいくつかのやり方が多くの企業に浸透していて、大学の講義や企業のインターンで訓練の一環として若い人が参加している様子もよく見ます。
一方で、それらのアイデア創出の練習は往々にして上記の1点目(アイディエーション)に終始するものであり、それゆえにイノベーション創出と言ったときにアイディエーションだけをイメージする人も多いのではないかと思います。
私はその部類だったので、ここまで読んだだけでも目から鱗でした。
実際、企業での新規事業探索の実践においても、上記ステップのせいぜい1,2までしか達成できず、3のスケーリングを実現していくことが今後の鍵であると述べられています。

さて、上記の各プロセスの詳細についても、この本は興味深いことをいろいろ書いています。

まずアイディエーションについては、制約なしにアイデアを量産することは過ちであると断言しています。
クリエイティブなアイデアを許容する一方で、その後のステップである検証やスケーリングに適したアイデアに繋げることが必要なのです。
具体的な方法や豊富な事例は(長くなるので)本書を参照してください。

ステップ2のインキュベーションのポイントは、前述の探索ユニットならではの評価指標に関連します。
通常の評価制度では、過去の業績をもとに業績の達成目標を定め、目標との差やその原因を探るフィードバック型の評価を採用します。
インキュベーションにおいては、市場に潜在的な機会があるかどうかを見定める仮説検証を繰り返すため、この仮説検証の成功を示すマイルストーンを置いていく「フィードフォワード」のシステムを設計する必要があると論じています。
成功指標として顧客の採用率、デザインウィン、トラクションと呼ばれるものなどがあるということですが、この辺りは正直まだ自分の中でちゃんとイメージが掴めていないので、もう少し他で学びたいところです。

そして、スケーリングのポイントが両利きの経営のコアに関連するパートです。
本書では1章を割いて丁寧に解説されているのでぜひそちらを読んでいただきたいですが、要点としては以下のとおりです。
スケーリングを実現するためには、うまくいきそうな新規事業にリソースを注ぎ込んで成長を促す必要があります。
しかし、その際に問題となるのはまさに両利きの経営の課題であるカニバリゼーション、つまり既存事業からの資源の再分配が難しいことです。
したがって、イノベーションの最後のピースであるスケーリングを達成するために、探索を正当化する戦略的意図の発信と価値観の共有、経営陣による保護、資源を共有しながらも組織として分離された構造、これらが必要になるということなのです。

ということで、イノベーションのあり方を見直すことで両利きの経営がより必然的に見えてくる、という内容でした。

おわりに

もう少しメモ程度に簡単にまとめるつもりだったのですが、通して読むのに最低限必要な記載を補っていたらだいぶ長くなってしまいました…
本書はここに数倍のボリュームの事例紹介などが加わってきますが、それも歴史の勉強としてかなり面白かったので興味が湧いた方はぜひ読んでみてください!

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