「べき」「ねば」で何とか動く男
「○○すべき」「○○せねば」はやめよう、という話はよくある。
やりたいことだけやろう、と意味は似ている。
じゃあ私は今noteの投稿を「やりたくて」やっているのか?
それは怪しい。
「年内50本」のタグを付けているのは、目標と言うより義務である。
「書かねばならない」になっているし、だから書き続けている。その先に何の報酬もないのに。
やりたい仕事をしているか?ノーである。
金に困っていないなら、「働く」ということを一切しないだろう。私には奉仕や貢献の精神はない。
「働かねば金が入ってこない」世界で生きているから、働く。
「義務的に書くことを仕事にしたら?」
…人が金を払いたくなるようなものは書けないさ。私はそんなに器用じゃない。
やりたいことが見当たらないから、「余命半年になったら終活に専念する」みたいなことを言うのだ。
これもまた「べき」「ねば」である。
義務でやってること、習慣でやってること、どちらも「やりたい」ことではない気がする。歯磨きでワクワクする人がいるか?「歯が命」くらいに思ってないとワクワクはしないと思う。
やりたいことは、どこにあるのだろう。
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