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九月のはじめ、嬉しかったこと

絵も工作もからきしだが、昔から文を書くことがとても好きだ。
きっかけは特に覚えていないけれど、いちばん古い成功体験を引っ張り出して言うと、中学の修学旅行で長崎を訪れた際、平和学習をした後の感想文を担任の国語の先生がいたく気に入ってくれ、褒められたこと。自分の書く文章で生まれて初めて褒めてもらえたのがそれで、やけに強烈に覚えている。そんなに褒められることがなかった、特に秀でた部分がなかった子供であったということも大きいのかもしれない。

昔から本を読むのは好きだったが、すごくたくさんの本を読んできたかと言われるとすごくたくさんの本を読んできた本好きの方には失礼だろう、くらいの本好き。文章を書くのが好きだと言うとよく「じゃあ本好きなの?」と聞かれることが多いけれど、特別好きというわけでもない。好きだけれど。

そんな私だが、文章を綴ることのどこが好きかと言われると、一番直感的に、考えて言葉を作り出せること、だと思っている。
私は自他共に認める口下手だ。とはいえ長く接客業をしているので当然お客様とも話をしなければいけないし、この業界のコミニュケーションツールはやっぱり圧倒的に「喋ること」で。
昔から何人か集まれば圧倒的に聞き手側に回ることが多かったし、そちらの方が好きだった。
べつに極端に語彙が少ないわけでもないと思っているけれど、相手の喋るスピードに脳がうまくついていかない。いい言葉を、と思ううちに妙な間ができて、「ごめーん!」と思う間にあっという間に口が挟めなくなってしまう。たぶん、耳から聞いた言葉を脳に届けるまでの時間が人より遅いのだ。
そんなだから、よく後悔する。パッと出る言葉は直感でと言うより「何か言わなきゃ……!」と脳をせっついて出た言葉なので、後から「ああいうことを言いたかったんじゃないんだけどな」とか、「あの時の返し、こっちの方がわかりやすかったな」とか。まあ、誰にでもあることのように思うけれど、普段平然と会話している脳内で、毎日同時に100個ぐらい小さなパニックが起こっていると思ってもらえると分かりやすいかもしれない。

そんなわけで昔から人と喋ることがコンプレックスだったけれど、文を綴ることは比較的パニックを少なく、まっすぐに気持ちを綴ることができる数少ないツールだった。
別に、小説家になりたい!とか随筆家になりたい!とか、出版社に勤めたい!とかそういうことを考えることはなかったけれど、今、いろんな形で自分を表現できるツールがある中で、私は写真でも声でも歌でもしゃべりでもなく、文章を書くことが一番肌に合っていた、それだけのことだと思っている。
ときどき、「読み返して恥ずかしくなったりしない?」と聞かれることがあるけれど、でもまあ、それはそれが写真だろうと絵だろうと言えることであり。
時々自分でもよくもまあ何十年も前の記憶を引っ張り出して、ちょっと文の体裁を整えて今更語ろうと思うよね、と思ったりもするけれど、それでもまあそういうことが好きな人間なのだ、許したい。他人に許してもらうものでもないので、自分で許す。

そんなこんなで、「文章を書くのが好きだなあ」と思うまま、二十年くらい経った。息をするようにしてきたことであったので強烈にその好きを意識することはなかったけれど、この数年、なんだかやけに「文章書くの、好きだなあ!」と思うことが増え。
その勢いのまま、「ちょっと何かに応募してみよっかな」とときどき公募ガイドなどをペラペラしていたりはした。

そんな中で応募したもので、生まれて初めて賞をいただいたのだ。
電話で連絡を受けた時、「うそでしょ!?」と思ったし、動揺しすぎてやたらへらへらしてしまった。お休みに出勤してまで連絡をくださった担当者の方には本当にすまない気持ちでいっぱいだったが、どうやら頬をつねっても痛く、夢ではなかった。嬉しー!と思ったのが真っ先にきて、電話の最後、「ありがとうございます、嬉しいです!」と某芸人さんのような締めをしてしまった。電話の向こうで苦笑いする空気を醸し出しつつ、「本当におめでとうございます」と言ってくださった担当者の方に、電話を終えて冷静になったあと本気ですみません、と思った。電話や会話だとまあこういうことがままある。
メールではしゃぎ通したことを詫びるか、と思ったけれど、なんだかそれも……なあ……などと悩むうちにあれよあれよと受賞式の連絡が届き、そして今日、立派な盾が届いた。

賞といっても、一番というわけではなく、十人の中の一人、優秀賞。けれどやっぱり誰かに認めてもらえたことは嬉しく、誇らしい。同梱されていた新聞に載っていた自分の名前にやけにそわそわして、とりあえず仏壇に盾を供えた。祖母よ、あなたとの思い出の話で孫が賞を取りましたよ。来年のお盆にでも眺めておくれ。今年の盆は終わったのでね。

もちろん誰かに自分の文章を選んでもらったことも嬉しいけれど、何より何十年経っても自分のこころのいちばんやわいところに居続けている大切な思い出を、誰かが掬い上げてくれたことが嬉しい。
屋根の上で海を見ながら祖母のしょっぱいおむすびをかじったことは未だに夏になるたび思い出す思い出で、もちろん年数を経て美化されている部分もあるかもしれない。それでもこれからこの先夏になるたび思い出すであろう大切な思い出を誰かから「よかったね」と認めてもらえたようで、よかったね、おばあちゃん、と思う。故人がどう思っているかは定かではないが、なんとなく「よかったねえ」と笑っている気がする。心配するくらい優しくて、大して可愛げもない孫を最期まで可愛がってくれた人であったので。

そんなわけで、嬉しいなあという気持ちを色褪せないうちに綴っておきたく。
九月の最初、ざあざあと雨が降る音を聞きながら綴っておきます。

そして今回の件でキッコーマンさんの「あなたのおいしい記憶を教えてください」というスローガンを知ったのだが、天才すぎて考えた人におやつ一年分あげたい……と思った。せっかくいいかんじにシュッと締めたかったのに、ついこういう余計なことを言ってしまう。それも許したい、そういう人間なのでね。





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