映画「ルックバック」
映画を見た。
ルックバック。
2024年6月28日(金)。
その日は友人の誕生日であり、
映画「ルックバック」の上映開始日だった。
少しだけ印象的だったことを。
最初のシーン、少し目が回りそうだった。
音楽が良すぎて、開始早々泣きそうになった。泣いても良かった。
どうせ後でわけわかんないくらい泣くのだから。
背中しか見えないけど、たまに卓上の鏡に表情がうつる様子が、
とてもとても良かった。アニメーションだ、藤野が生きている、と思った。
軟弱者に漫画が描けますかねぇの言い方、クソガキで良かった。
藤野に漫画見たい見たいとすり寄る京本の動きが可愛かった。
思った以上に訛っていた。
京本が喋る度にどきっとした。どもるの、すごい分かるから。
「またね」が可愛くて、切なかった。
ジャージの裾からのぞく素足がいとおしかった。
藤野と京本が重ねた時間が、
何枚も積み重なっていく漫画たちが、
アニメーションではより感じられたと思う。
その後のことを思うと、もうその一瞬一瞬が大切で、
なのにどんどん過ぎていって手から零れ落ちていくようで、
必死になって画面を見ていた。
一緒に街に行くシーン、美しかった。
これは画面が美しいということ以上に、
見ている自分が美化している、とすら思った。
そういえば
ランダムグッズを一つ買ったら、
ふたりでクレープを食べているシーンだった。
なんかすっごい嬉しかった。
音、色、効果、背景、声、動き、すべてが
そこにある空気をそのまま伝えてきて、すごかった。
気が付いたら手をぎゅっと握りしめて見ていた。
もどかしさも、やるせなさも、何もかもが曖昧になって
雨に解けていくみたいだった。
泣きながら、笑ってるみたいな気持ちだった。
私もどうしたらいいか分からないし、
分からないけど続けることしかできないから。
昨日までを明日からも続けることしか、
自分には残されていないから。
それ以外何もできなくて、
でもそれをするためにここにいるという気もして、
自分が生きていくために、肯定するために、
都合よく解釈しているのだとしても、
だってどうすることもできないのだから。
果たしてどれだけの人が
明日に続けていけるかということを考えて、
また途方もなく悲しくなって泣いたりもした。
自分が続けていく側の人間であることが
嬉しいとも悲しいとも思えなくて、
ただただ、京本や友人のことを思うと涙が出てきて、
振り払うように一歩一歩駅まで歩いた。
まだ大人になれず、
というか永遠に大人になんかなれそうもなくて、
だけどもうとっくに子どもでもなくなった今の自分が
感じたものも、また時間が経てば変わるかもしれない。
だから一応残しておきます。
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