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ギリギリでいつも生きていたいから〜さァ~|エッセイ

人生ガチでギリギリである。
まあ、こちらとしては
あまりギリギリな自覚はないが、
周りにハラハラするとよく言われたもんだ。

特に、高校時代の友人たちに会うたびに
今でも当時の話をされる。
それくらい私の大学受験は
リアルフェイスだったようだ。

高校3年生の初め、
私は大学になど行く気がなかった。

将来の夢も見つかっていないのに、
何を学べというのだ。
しかもアホみたいにお金がかかるし、
4年も消費する。
わたしゃ、高卒でゴリゴリ働きますわ!
と母に宣言していた。

(ちなみに、父はのんきなので、
 私が小学生なのか中学生なのかも
 気にしたことがなかったし、
 勉強しろなんて言われたことがない)

だが、高卒宣言を聞き母は、
「せめて大学に行って・・
 おじいちゃんも行けって
 言っているから・・」
と言い続けてきた。

なかなかに折れないので、
自分の人生なのに悔しいが
お互いの意見の間を取り、
渋々短大に行くことを決意した。

しかし、短大に行くと言ったが、
まあやりたいこともない。

そこで周りに、
「私って将来何してそう?」
とアンケートを取ってみた。

すると、
「特殊メイクしてそう!」
という意見が多数寄せられたので
将来の夢は、
特殊メイクアップアーティストに決定した。

だが、特殊メイクのできる短大を探したが
大阪にしかないようだった。
またしても路線を変更し、
メイクの短大に行くことにした。
母と見学に行き、
ようやく志望校が定まった。

短大なら楽々入学だ〜〜〜〜と
高三の夏休みの間、
毎日ツタヤとブックオフに通い、
ドラマ・漫画にかりじついた。
それどころか、
周りは勉強で遊んでくれず
本当に暇だったので、
夏の間だけ英会話教室に
行ってみたり暇を謳歌した。

さて、そんな夏休みの最後に
三者面談が行われたのだが、
ここで衝撃の出来事が起きる。

先生が、
「サハラさんは大学に行くんですか?」
と母に聞くと、
「はい。4年制の大学に行かせます」
と母が返答したのだ。


え?江?ゑ?


こんッッッッなに夏遊んでたの
一番知ってるよね……?
てか、今初めて聞いたし…
そんなことより、短大に行ったとき、
ここにしようねって言ってたよね?!?!?!

キモすぎて、新学期が始まった瞬間、
友人たちに怒りを伝えた。

すると友人たちは、
「待って、怒ってる場合じゃない。
 どこの大学にするか決めなきゃ、
 てか勉強しなきゃ。

 私、自分の受験より、
 サハラが心配!!!!!」
と一同が分厚い本を片手に、
私でも行けそうな大学を調べ始めた。
私は2024年現在でも、
あんなこと許されんの…?と思っている。

てか、本当に友人たちが
優しすぎる・・・・・・・

大学受験に関して右も左も分からない
私の代わりに
毎日毎日、みんなが調べ続けてくれた。

そしてついに、
家から乗り換えなしで行けるし、
ここならいいんじゃない?
ということで志望校が決まった。
(ちなみに専攻は、
 大学が違えどSALUくんと
 同じにしたかったので建築系)

みんな本当にありがとう・・・・・・
と、この段階で既に11月。
受験まであと2、3ヶ月しか
残されていなかった。

相変わらず大して勉強もせず
のんびりしていたところ、
ようやく母も焦り出し、冬季講習に行って!
とクリスマスから1ヶ月塾に通うこととなった。

無駄に東大1年生(現役合格)の
お姉さんが担当してくれ、
その後無事に第一希望の大学に合格した。🎉

でも、受からなかったら
留学に行ってもいいし、
最初の計画通り高卒でもいいし、
落ちる=地獄みたいなイメージはなかった。
ので、私はギリギリだと
思っていなかったというわけだ。

ちなみに、大学に行ってしまったがために、
唯一起きている弊害が仕事意欲だ。
あの頃、高卒でゴリゴリ働いてやる!!!
と思っていた感情を押し潰されたため、
今ではそんなこと思わなくなってしまった。
最悪な反動・・・・。

また、最後に余談だが、
当時の私を知るまいく氏に
「私、高三の冬すっごい勉強してたよね」
と以前聞いてみたところ、以下のような回答が返ってきた。


「いや、東大生に1日で
 英単語100個覚えろって言われてサ〜
 とか言いながら、うちでwiiしてたよ」


ゑ・・?

さはら
1997年9月生まれ
ハーフ
座右の銘は晴耕雨読
万年フリーター

🧸本日のおすすめ🧸
大学に入って、ギリギリ仲間ができました。


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