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#152 恋をしたのは


ただのタイトルだ。
どう受け取ってもらっても構わない

ただ、恋はしていない。


ちなみに恋が何かは未だに分からない。



そんな感じで分からないことだらけ。


僕には分からないことだらけなんだ。


本当の意味での共感性というのを
僕は、持ち合わせていない。

それでも誰にもバレないように
自分を取り繕ってきた。それに後ろめたい気持ちはなくて理解することに必死だった。


こんな僕が必死に理解しようとすると
どんな立場の意見もわかってしまう。
これは共感とは程遠い、理解でしかないが。


頭の中で精査に精査を重ねた言葉
思考を繰り返して出た気持ちしかない。

一喜一憂することもあるが、
これに共感する!とか、完全同意!!みたいなことは、初見の意見には中々ない。


そんなこんなで色んな意見を
聞いたり話したりしてるうちに、
だんだんと覚えていくんだ。
周りに対しての模範解答のようなものを。


そうなればなるほど、
自分自身と周りとの溝があることが
鮮明に明確になっていく気がする。


だんだん分かり始める。
自分は偏りが嫌いな考え方をしている。
僕の中では、TPOに合わせた是々非々。
これを心がけているつもりだ。



当たり前のようで、同じような人は少ない。


それだけ周りは確立した何かがあって
それに従って、または反射的に
自分がどっちの立場をとるのかが決まる。

その確立した何かの善し悪しはあるが。
それでも周りはすぐさま立場をとれる。


僕の場合は、ワンテンポ遅れる。
いや、ツーテンポくらい遅れてるかも。


それだけ確立した判断基準が
僕には持ち合わせていないようだ。

2人の関係性に相談という形でも
首を突っ込むようなら
お互いの意見を聞かないと気が済まないし。
どっちかが悪いと決めつけることに
モヤモヤが発生してしまう。

もし片方の意見しか聞けない時は
僕が想像可能な範囲の相手の状態、背景を
考えて僕なりの相手の意見を必ず言う。



結局どっちの立場も取ってない。


中立だと言われる。


当たり前だよ。


そう考えない理由がない。


僕が、どちらかの立場をとる時は
よっぽどの条件が出揃った時だろう。
そんなことは中々ないんだけどね。


てな感じで擦り合わせの毎日だ。


僕の考えか周りの考え
どっちかが正しいとは思わない。
不完全すぎるし、完璧なんて面白くない。
たとえ完璧に到達しても一過性にすぎず
少し月日が経てば、たま不完全なものになる。


アップデートが必要になるだろう。


常にアップデートは必要だが、
アップデートできないタイミングもあること
アップデートではなく、考え方を作り上げることが大事な期間もあることを再認識した。

これも、僕のアップデートだ。
もしかしたら多くはまだ作り上げている
そんな期間なのかもしれない。


そうやって、僕はまた思考を続けていく。



以上、それでは👋

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