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歓び、それは楽園の乙女

歓(よろこ)び、その不思議な力は、時の流れが引き裂いていたものを再び結び合わせる。そのやさしい翼に抱かれてすべての者は兄姉になる。(フリードリッヒ・フォン・シラー「歓喜に寄せて」より、訳・編集:サントリー1万人の第九事務局)

年末年始の体調不良で気功のお世話になった。

施術してくれた人が先月大阪城ホールまで

「2022 一万人の第九」を聴きに行った話をしてくれて

YouTubeで探してみた。

今年の映像はないけど、

去年、おととしの映像があった。

佐渡裕さんのパワフルな指揮が好きで、

いつか私も聴きに行きたいと思っていたけど、

きちんとベートーヴェン第九交響曲の第四楽章、

つまり歓喜の歌の合唱を

いままで集中して聴いたことがなかった。

ドイツの詩人のシラーが作った詩を歌詞として

ドイツ語で歌っている。

日本語訳で字幕に載せてくれている動画は複数あったが、

「一万人の第九 2020」が

私には一番良かった。

それは単なる有名な交響曲の合唱付き演奏というものではなくて、

各地の合唱参加希望者をリモートでつなぐ新しい形式のものだ。

会場の合唱だけでなく、

リモートの歌もあわさる。

この現実にありありと浮かび上がった

「人間の分断」という病に対しての

切なる祈りの儀式に見えた。


楽器の音を出すときには

イメージが一番大事だと教えられた。

どんな音を出したいか、

どんな音楽をつくりたいか、

イメージして演奏する。

歓びなら歓びを、
悲しみなら悲しみを、
平和、怒り、希望、解放
イメージは音になって、世界に響く。

それが人の心を動かす。

身体や心が弱っているときに、

ベートーヴェンの第九が沁みるとは知らなかった。





人と人が交流する歓びと希望を

一万人が同時にイメージして歌い、演奏するなら

それは大きな祈りだ。


本当に残る音楽は

国境とか、宗教とか、人種とか、年齢とか、性別とか、そういう

範囲を軽々と超えて行ける

人間の普遍的な祈りなんだろう。


今日NHKで

ウィーンのニューイヤーコンサート2023の映像を
見た。

会場では人々が密に集い、口元をゆるませ、新年の恒例行事を楽しんでいた。

見ていて心からホッとした。

人間の顔が、見える。

もう多くの国でマスクやワクチンで人を分ける「感染症対策」とやらは終わっている。

日本は遅れているのだろうが、

この情景が私の日常になることを願う。

第九の祈りが現実のものとなるように。




ぜひ聴いてみてください。



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