直感にて南部に旅立つ・先祖をたどる旅~葛藤を終わらせるために①
2023年6月に私は岩手県北、青森県南にまたがる南部地方に
一人で3泊4日の旅に出た。
正直、自分の稼ぎも大してない主婦にはお金もかかるし、子どもたちは大きくなったとはいえ夫一人に任せて1日以上は離れたこともない。
精神的な迷いが大きく、旅行以上の意味がなければ決断できなかった。
詳細は諸事情により省くが、
誰に頼まれたわけでもない、行く義務があるわけでもない旅行への迷いを断つ決め手は「今を逃すと行けない。そして逃してはいけない。行きたいと思うなら行くべきだ。」という
なんの根拠もない「自分の直感」だった。
もう4か月になるが、後悔は1ミリもないし、
そして自分の直感は正しかったと感じる。
土地に自分の身体で立つ、ということには、知らず知らずに恩恵がある。
縁があると思う土地には、自分の身体をもって行ったほうがいい。
遠くから思いを馳せてもいいけど、
持って帰れるものが格段に違うように思う。
私は自分の生まれ育った家族の中では異端児だ。
こういう考えを実行してしまうのは、私だけで、そして、おそらくそれが私の家族の中での役割なんだと思う。
母が命を授かった土地。それは祖父母が生きた土地でもある。
母方の祖父母という存在は、家族以外の人に説明するのに大変骨の折れる、複雑な存在だったし、それは今も残念ながらそうだ。
簡単にいえば、祖父という人には母が生まれてほどなく、とうに死んでいて私たち姉妹は会ったこともなければ、どこの家の人でどんな育ちの人間かは知っているのに、下の名前もついこの間まで知らなかった。
いま自分で書いていても謎設定である。
そしてもう一つ簡単に言えば、
生まれてから私が16の春に死ぬまで同居していた母方の祖母に、
私はものすごい葛藤を抱えていた。
同居していた家族のだれもが、「心のやりとり」をすることが難しい祖母とそれぞれの葛藤を抱えていたが、
とりわけ私は「おばあちゃんに容姿も性格も似ている」と両親から悪意なくそれぞれに言われることで、自己否定感が常にあった。
最愛の親に、家族の皆に葛藤を与えている存在に似ていると呼ばれる自分を
好きになれるはずがなかった。
おまけに知らず知らず国立大の教育学部に入って教員免許をとるなど、祖母と同じ学歴を経てしまったことに、
両親含む周りから応援され、自分が努力して得たはずのものなのに、
厭わしいような思いが心の奥深くにあった。
似ている、という呪いのような重荷をはねかえせるような「自分は祖母とは違う」という確信が、持てなかった。
私の行く末は、予期不安の妄想にかられて、身近な人を支配しようとする人間なのかもしれない、と思うこともあった。
祖母にまだ起こっていない恐ろしい事件への不安を毎日脅迫的にささやかれる小さな孫という身になってほしい。
外の世界は全然安心できるところではない。
祖母に似ている、と言われて喜べる人をうらやましく思う。
「呪い」だなんて、思いたいわけないじゃないか。
孫にここまで言われてるということは、一人娘の母がどういう状態で過ごしてきたのかは想像にお任せする。
それぞれが祖母への葛藤を抱えるなかで、自分の葛藤を手放すには自分でなんとかするしかなかった。
祖母が死んで27年経つが、私も私の家族も祖母への未消化の思いを清算しきれていなかった。
親が年をとり、自分が子どもを育てていく中で、逆にそれがどんどん色濃くなっていったように思う。
「あんな風になってはいけないけど、なってしまいそうな自分」を見張っていた。
それに気が付いて、ほとほと、もう嫌になって、なんとか終わらせたいと思った。
その手段の一つとして、私は母方の先祖の土地に自分の足で行くことにしたのだった。
ブラックボックスに入ってしまった私たちの起源、祖父と祖母の生きた風景を誰も語らないなら、自分でつかまえに行くしかない。
未来を肯定するためには、過去に向きあうことが必要なんだと私は思っている。
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