
盲目
人の情報や記憶など。。
目はすごく大切なものですが
情報としては思っているより少なくて
不思議と見たいものしか見えてないし
耳も。。褒め言葉でも悪口でも
自分の興味というか、知りたいものしか入ってこない感覚があります。
まぁ。。その感覚も心理学について
考えたり知ったりする中でなんとなく感じたことなんですけど。。
人って。。無意識の中で自分のこと守ってるんだと思うんです。。
本当に知らないと先に進めないこととか
知った方がいいことでも
受け入れる準備が整ってないと
受け取れないようになっているものなんだな。。と。
ほんと。。準備が整ってないと入ってこないです笑
実際私は自身のイネイブラーを知るきっかけは
元旦那さんのギャンブル依存症について調べてるときだったんですけど。。
ギャンブル依存症を調べながらも半年以上たってからなんです。
イネイブラーって言葉に自分の気持ちが引っかかったの。。
しかも新しい記事ではなく
理解するために何度も何度も読み返していた依存症の記事の一角にずっと書いてあったはずなのに
私は何ヶ月もその存在に気が付かなかったし
いざ、イネイブラーという言葉を知っても
それを他人事ではなく
自分のことだと認識するのにも時間がかかり、
そこから読み進めて知るのにも数ヶ月かかってます。
不思議なんですけど。。
向き合いたいのに眠くなったり
知りたいのに別のことを考え始める自分に気がつくんですよね。。
読んでるのに頭に入っていない感覚です。
気合を入れて。これ、自分のことだから知りたいと思って意気込んで読んでも、3行ぐらい進むと、洗濯回さなきゃとか買い物行かなきゃとかそういえば。。。みたいな感じで自分で先に進むのを止めるんです。。
読みたいと思っているのになんでだろう。。
読んでるのに飛ばしてしまう自分に気がついて違和感を持っていたんです。
今思えばイネイブラーや愛着障害は
わたしの苦しみや寂しさを抑圧していたもので
それを表に出さないためにそれを必要としてたので知ることを望んでいなかったというか
わたしの表面の感情とは別で
感情の底では知りたくなかったからかもしれません。
心理学ではそう言うことがかなりあります。
今は便利な世の中なので
YouTubeなどでも
愛着障害や親子関係、
自分の育ちや自己愛、精神的な生きづらさについての動画は本当に沢山見ることができますが、
自分が受け入れる準備がある程度整っていないと
心?脳?はっきりとどことはわかりませんが
全く響かないし
聞こえないし見えないし
認識しないんです。
不思議ですよねー。
でもほんと。
だから同じ動画でも同じ本でも
同じ記事でも何度か繰り返し見たり読んだりしてみることをオススメします。
ある日突然、あっ。って刺さる時あるんですよ。
あっ。って納得したり、気がついたりする日が。
生きづらさや心理的なもの、
依存症だったり
自己愛の問題だったり
全ての解決のスタートは『気がつく』『受け入れる』なので。。。
そして『気がつく』『受け入れる』がほぼゴールなんです。。
それほど、人間は自分に無頓着なんですよね。。見えていないんです。
きっと私の記事を読んでくれたり
愛着障害という言葉を知っていたり
依存や生きづらさということを生活のどこかで聞いたり知ったりしてる人っていうのは
知りたい自分と
知りたくない自分がいるんだと思うんですよね。
一歩ずつ、自分に対しての視野を広げて
自分自身を丸ごと受け止められるように。。
私も目指してます。