身動きが取れなくなる言葉に負けない
私にとって身動きが取れなくなる言葉というのは
何個もあるのですが。。
その中でも嫌いなのはこちら。。
「あっそ。どうぞご自由に」
「好きにすれば?」
「心配してるのに」
「勝手にしなさい」
あと言葉では無いのですが「無視」です
この手の言葉はだいたい
私が相手の意思に反した意見を持っていた時に使われます。
私には私の気持ちも、意見もあるけど
それが相手の思い通りじゃない時に
この言葉を使われるのですが
大変不安になります。
しかもこの言葉を使う人は
なぜダメなのかを教えてくれません。
この言葉を使う人の気持ちには触れないので
相手の意見が聞けない状態で
自分の気持ちだけが否定されたような不安に襲われます。
例えばこんな流れです。
友達と旅行に行きたい。という私の意見に対して、少し不穏な顔をして「あっそ。勝手にすれば?」みたいな感じ。。
私は悪いことをする気持ちになってしまい
結局旅行をやめたり
強行しても不安で楽しめなかったり。。
支配されていて常に怯えている状態になります
この支配は
「受動攻撃」という名前があるそうなのですが
これをされると私はとにかく罪悪感を感じます
自分の意見は悪いことなのか?
自分の話は聞いて貰えないのか?
相手は何を考えているのか?
全然分からなくて大変不安になります。
使ってる人は無意識なんですかねぇ。。
受動攻撃は多く、虐待の場や
毒親、上下関係にある人間同士のバランスで
行われてると推測するんですけど、
●子どもにたいして不機嫌な態度や無視で不安にさせる
●よその人の「常識」という言葉を絡めて辛い気持ちを否定する
●子ども側の受け取り方の問題と切り捨てる
●すでに傷ついている子に対して「自分の責任なんだから」と言う。
●子どもが傷ついていること、悲しんでいると伝えても「考えすぎ」「気のせい」「しつこい」
「うるさい」などという
●「あなたのため」と言って支配することで
自分で決断する機会を奪う
●その人を「1人の人間」として扱わずに
所有物のように言うことを聞かせる
これだけ書くと本当に虐待してる側が
悪魔のように見えますけど。。
少し違うかなぁ。。と思います。
たしかに私のようなコントロールや支配されやすい人間からするとこの受動攻撃を受けるというのは本当に苦しいんです。
しかもこれはどうでもいい人からの攻撃ではなく、自分の愛する人からの攻撃、支配なので。。
でもする側の人も私を憎んでしているのかと言ったら。。問題は別のところにあって、
それはその人自身が心に不安を持っているから。。。ですかね?
少し難しいですね。
相手は相手で
言うこと聞いてくれないと不安
目の届かないところにいるのが不安
何をしてるのかわからないのが不安
その不安が上手く表現されないというか
言葉として相手に伝えることよりも
怒りの感情が前に来ると
受動攻撃で「察しろ」「お前が悪い」と
罰を与える言葉や行動をかけるのかなぁ。。と
推測します。。
毒親や受動攻撃をしてしまう人というのは
「悲しみ」や「寂しさ」を自分で感じることを避けるために人を支配すると思うと
少し理解が深まるかなぁ。。
私自身はそうやって、人に傷つけられた気持ちを
本当に少しずつ少しずつ浄化してきました。
受動攻撃というのは愛する人、
愛されたい人から受けることが多いと
心はとても傷だらけになりますよね。。
今でも受動攻撃を受ける時がありますが
自分が思うこと、自分の意見は大切にしたいと
思います。
愛とは互いを認め合うこと。
自分と自分以外にしっかり分けて
それぞれを尊重すること、
その人を丸ごと認める、受け止めるという事だと思うので
私が与えられてたものは
愛とは少し違ったかもしれない。。
でも私の中にはしっかり自分の愛が育っていると信じて日々過ごしてます。