見出し画像

【観た映画:アラビアンナイト 三千年の願い】 物語研究者がうっかり物語に取りこまれた物語

軽くて楽しい娯楽映画。娯楽のための娯楽映画といったところ。息抜きにぴったり。
異国の市場のような、宝石箱をひっくり返したような極彩色の映像美は目を愉しませてくれます。突拍子のない物語も、フィクションの楽しさ自由さを最大限に味わわせてくれます。

主人公は「ナラトロジー」(物語や神話を研究する学問)の研究者の女性。50歳くらい。とある学会発表か講演会に呼ばれて、ロンドンからトルコへやってきます。訪れたバザールで小瓶を購入。ホテルに戻って小瓶を洗っていたら・・・なかから巨大な魔神が出てきた・・・!

ホテルでバスローブ一丁の主人公と巨体の魔神が対峙する、おかしな構図。3000年間小瓶に閉じ込められている魔神は、あらゆる人の願いを叶えることができます。小瓶を空けて彼を開放した人物の「三つの願い」を叶え終われば、無事小瓶の呪いが解けて自由の身になれるのだという。
自己紹介もそこそこに、「はやく願い事を言え」とせかす魔神。それに対して、彼の身の上が気になって仕方ない上に、物語学研究者としては「願い事が叶う物語」は大抵バッドエンドの作品であるを知っているために、願い事なんて絶対に言いたくない主人公。確かに、何かを得るかわりに何かを失う、という戒めの物語は多そうです・・・人魚姫とか。泣いた赤鬼とか。世界中の物語を読んでストーリー構造のクリシェを研究するのが彼女の専門分野ですから、よく知っているのです。
そういうわけで、魔神と研究者は、せっかくの需要と供給がマッチせずに、出会ってそこそこに噛み合わない会話を繰り広げるようすがコントみたいで面白いです。

仕方なく自分の身の上を語りだす魔神。映画の前半は、ふたりの会話劇と、会話の中で魔神が語る過去の回想シーンだけで成り立っています。
どれもこれも、神話の時代から近代くらいまでの時代に、魔神が人間の女に恋して、相手の願いを叶えて、でもどこかでつまづいて3回目の願い事達成に辿りつかない物語ばかり。
3回目の願い事にしくじってしまうのは、人間側の欲も絡んでいます。なんでも叶えてもらえると知ったならば、2回目は1回目よりも、3回目は2回目よりも、もっと大胆で大きなものを手に入れようとするからです・・・
研究者は余計に、物語論の確かさを、つまり「何かを得れば何かを失う」セオリーが働いているのを、かみしめます。

どうしようもなく惚れっぽくて、人情味があって、特殊技能があるのにつまづいてばかりの魔神の身の上を聞いているうちに、彼のことを気の毒に、そして愛おしく感じてきてしまう研究者。映画の後半は、ふたりのラブストーリーが展開され、それにまつわる研究者の「願い事」の使い道が描かれてゆきます。とても納得の展開というかんじで、ここはあまり個人的に心惹かれなかったので割愛します・・・

本来は物語たちの裏に潜んでいるはずの「物語論」の存在が、白日のもとにさらされ、それに「はまらないように」ストーリーが展開してゆくという、特異なひねり技の物語。
そんな物語と物語"論"の一風変わった「並走」を、観客は俯瞰するのです。なんだかギリシア悲劇みたい?

物語は星の数あれど、ひな形というか原型って、存在するんですよね・・・遠き日の大学院の授業に出てきた「Hero's Journey」をおもいだしたりしました。

End…



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集