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霧島神宮古宮趾での神聖な雰囲気

みそぎタイムをはさみ、一行は霧島神宮古宮趾へ。
バスはこれまでよりもさらにキツイ傾斜のあるくねくね山道にさしかかります。

🐻「酔い止めのおまじないをしましたが、酔わないようにするには顎をあげて鼻のちょっと上らへんの空気を吸うような感じでいてね〜」

と子供達にやさしくおしえてくれるくまちゃん。

その結果、子供達こんなかんじ

純粋でかわいすぎる
むしろあざといの域
最後は寝そべっている

そんなかんじで山道をゆき、私は完全に沈黙をかましている携帯電話のアンテナとにらめっこをし、ようやくバスは霧島神宮古宮趾の駐車場へ。

霧島神宮古宮趾は、高千穂峰の登山口にもなっています。
みなさんここから登山をするので、本気の格好をした人たちもちらほらと見受けられます。
私も実はバスツアーの翌々日に登山にチャレンジするつもりで予定を入れていたのだけど、がっつり雨予報だったしあと体調不良でヘロヘロすぎたので断念したのです。

日本全国津々浦々の神社や磐座に行っているくまちゃんに一番ハードだった現場はどこかを以前聞いたら、高千穂峰がいちばんきつかったと言っていました。

傾斜もとにかく急だし、足元の地面が土ではなくちいさな軽石みたいなころころ石の集まりなので踏んでも踏み込めなくてずるっと滑って滑落しそうで怖かったということでした。

たしかに確かに山肌には白い点々としたものが見えて、それがどうやら動いている様子。
あれは人ですよと以前きいたことあったのだけど、上り方が垂直方向。
真上に向かって人が進んでいるのです。
どう見たってハードだよね~。

神話における高千穂とは

高千穂という地名は、ふたつ存在します。

県北の高千穂町と、この鹿児島との県境にある高千穂峰。

どっちがほんもの?

というわけではなく、どっちも行ったことのある人はどっちも違う場所だってよくわかるはず。

県北の高千穂町のほうは天岩戸神社やお神楽で有名なほうで、よく観光の風景にも出てくる高千穂峡があるところ。
だいたい県外の人が「高千穂に行きたい」といったらこちらの方を指すことがほとんどです。

高天原という地名も残っているし、天安河原なんかは「は〜ここで本当に会議があったんやろな」と思わせる自然の造形美があるのです。
あのへんの一帯に神話に関わる地名や名勝が残っていて、かむさびている雰囲気の町。
それがひとつの高千穂。

一方、霧島方面の高千穂。

こちらは地域というよりは「山」自体をさすことがほとんど。

その神話とは「天孫降臨」
天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)がこの豊葦原の瑞穂の国を統べ治めよと任命され、先達とお供と三種の神器とともに降り立ったところがこの高千穂峰というお話。

そしてその際の目印というかアンカーポイントというか、とにかく降り立つ場所はここだよって目印になったと言われる天逆鉾(あまのさかほこ)が山頂にはあり、いまでもそれをみることができるんですね〜。
もちろん言わずもがなですが、呪術廻戦のアイテムではありません。

今も山頂に坐す天の逆鉾

私は実際に見たことはありません。でもいつか見に行きたい…!

古事記での描写はこんなかんじ。

『さてここに、仰せを受けたアマツヒコヒコホノニニギは、

高天の原の後座所(みましどころ)から立ち上がると、

天にかかる八重のたなびき雲を押し分けて、

力づよく道を踏み分け踏み分けしての、

天の浮橋に到り着き、しっかりとお立ちになると、そこから一息に、

筑紫の日向の高千穂に高々と聳える嶺に天降り(あもり)なされたのじゃった』

※三浦佑之著 口語訳古事記[完全版]101頁より引用

はいでました〜筑紫の日向の高千穂

筑紫の日向のって枕詞、すごくない?!
ここまで言いますかっていうくらい筑紫の日向言うよね〜。

テストに出るからって何度も言ったよねレベルで念押しされます。

本当に筑紫の日向っていう地名はものすごく特別なんじゃないかと、この古事記の表現でもうわかります。

これについての理由が、実は前日の西都の古墳でお話をしてくれたおじちゃんの話にピッタピタに重なります!

つまりこれは「聖地の名前」
だからこそ文献の中でも何度も繰り返し、そして人々により大事に守られてきたのですね。

んな〜るほど!

もう宮崎じゃなくて、ひむかって名前に戻せばいいのにね!!

のんびりとその日暮らしをしてそうな「ひむか」の響き、のんびりしてる宮崎人にドンピシャよ。

そして名前といえば、瓊瓊杵尊はじつはとんでもなく長い名前をもっています。

アメニキシク(天を和らげ)
クニニキシ(国を和らげ)
アマツヒコ(天空の日の御子)
ヒコホノニニギ(すばらしいにぎわい)

瓊瓊杵尊っていうのは短縮URLみたいなもんですかね〜(たぶん違う)

この瓊瓊杵尊の曾孫がカムヤマトイワレビコであり初代天皇である神武天皇というわけです。

ニニギって聞いただけでほんとにワイワイするような響きがありますが、瓊瓊杵尊さまはこの日本をにぎやかしするために降りてきてくださったんですね〜!!

先達のサルタヒコとアメノウズメを筆頭に、天岩戸事件でおばあちゃまを外に招き出した幹部らと、八尺(やさか)の勾玉と鏡、そして草薙の剣とともになりもの入りで高千穂峰に降り立った瓊瓊杵尊。

花もはじらう美しい伴侶を得て、やきもちの気持ちを抱えちゃって一気に人間くさくなり、身重の嫁ちゃんにちょっとありえない言葉を吐いたら逆に嫁ちゃんパワーに圧倒されて(イザナギ・イザナミと変わらんパターン)

まあでも人生を楽しむって、実は人間らしく感情を謳歌することなのかもしれません。

喜びも悲しみも、祝福も嫉妬もぜんぶ受けとめて、これが自分だと感じることで人生は美しく楽しく花開くものかと、人生の折り返しを過ぎた私は思うのです。

木花咲耶媛の名の通り。
瓊瓊杵尊の人生が花開いたのですね。

だから瓊瓊杵尊がヤキモチ妬いちゃうのは、神様なのにとかじゃなくってね。
地球に降りてたら神様だってヤキモチやきになっちゃうのよ!っていうことなんだと思います。

その感情の動きをありのままに体感することこそが、天を和らげ国を和らげることにつながるからこそ、瓊瓊杵尊はおもうがままに地上を楽しんだのではないでしょうか。

ブスなおねえちゃんいらないよって舅に突き返すあたりとか。

それと引き換えに限りある寿命を言い渡されてもなおブス嫁を引き取らないところとか。

お姉ちゃんはねちゃうくらい大好きで大事な嫁ちゃんなのに、一夜の契りで子供ができるなんて〜他の男の子供じゃないのとか本人に言って激怒されちゃうところとか。

男の人って神代の昔からそうなんだ〜って、呆れるも一周回ってかわいいもんです。
そういう神様を身近に感じさせてくれる古事記って、ほんとに好きです。

話がそれましたが。。。

とにかく瓊瓊杵尊のハイライトはこちらの天孫降臨で、あとはもうお話にでてきません。

そのあとはその息子たちの海幸山幸神話、それから孫のカムヤマトイワレビコ(神武天皇)へと続きます。

そのいちばんかっこよかった瞬間の瓊瓊杵尊がまさに降臨してくるステージがこちらの高千穂峰。

もともとお祭りされていた場所は言うまでもなくその同じ場所である山頂。

でもくまちゃんが一番ハードな現場だったと称するほどに、厳しい場所に祭祀場があるのはみなさんにとって便利ではないわけです。

だから中腹あたりに社殿を建てていたのですが噴火により焼失し、それをまた麓の方にもってきたのがこちらの霧島神宮古宮趾(前の神社があったあと、の意)で、さらにそこも焼失したためもっと麓のほうに遷宮したのが現在の霧島神宮。

そして新婚旅行でそこにおまいりしたのが坂本龍馬とおりょうさん。

霧島神宮とはそういう歴史を持った神社なのです。

で、もはや今では神社ではないこの古宮趾にあるのはなんなのかというと。

それは祭事のための場所です。

現在はこの古宮趾は「高千穂河原」と呼ばれて、霧島神宮の飛地境内ともなっています。

先日は大雨のため中止になっていたようですが、今でも夜に火を焚いて道標を灯す御神事が年に一回行われているとのこと。

そこにあるのは、はいこちら!


磐座と、その上に立つ神籬(ひもろぎ)

ここでくまちゃんとともに祝詞を捧げたい!!

じつは、これが私のバス旅のハイライトだったんです〜〜〜!!

しっぽの青いトカゲ

実は8月に下見に来たのだけど、その日は近所の氏神様にひとことご挨拶をしてから伺いました。

そのときに私は氏神さまの神社の階段で尻尾の青いトカゲに遭遇したのです。

この神社は私に生き物をしょっちゅう見せてくれるのですが、トカゲははじめて。

尻尾が青くキラキラっと光って、その自慢の輝きを見せつけながらそのまましゅるしゅるっと本殿に登っていったのでした。

ほう〜トカゲですか。

珍しいなと思いながら、高千穂に行くのでどうぞよろしくとお話して、そしてまた階段を降りていったらまた同じ尻尾が青いトカゲがいました。

気になるけど、なんだか陽気な感じだしまあいいか。

嫌な気持ちにはならないからきっと、いいぜ👍ってかんじのことを教えてくれているのかしらと、いつもの脳内お花畑ポジティブ変換器が良きの判断を導き出しました。

その後さぁやちゃんたちと合流し、こちらの高千穂河原に到着し最強においしすぎるかき氷を食べて、こちらの神籬の前へ。

その前にこちらの芸術的なかき氷をば。
登山口にあるまじでいけてるコーヒー屋、ミコトコーヒーで味わえるいちごミルク味のふわっふわ粉雪かき氷夏季限定。
こちらはお抹茶×コーヒー。
お抹茶ベースの氷にコーヒーの粉が降り積もる火山灰のようなまさに霧島な逸品。
練乳積みすぎぃ!
こんなクールな顔してこの人は激しく甘い飲みものでないと飲めないの人なのです。

私はちょっとやることあるからとひとりにさせてもらって、習ったばかりの祝詞を唱えておりました。

8月だったけど天気は曇りだったのでそこまで暑くなく、でも祝詞を唱えていたらなんだか瞼の裏がむわ〜と明るくなったので「日がさしてきたのかな?」と目を開けると、神籬の結界のふちにまた尻尾の青いトカゲがしゅるっと出てきたんです。

また会ったね!

あらあ〜!!
そんなとこにいて、どしたん!?

とつい声をかけてしまいましたが・・・

思えばもうすでにこの時から、このバスツアーの大成功は決まっているのだよ〜楽しみにしてな!っていうことを、この粋なトカゲは教えてくれていたのでしょう。

一の鳥居をくぐってしばらく歩きます。
この時点では高千穂峰は仰ぎ見れないのです。

実際に10月の雨の合間の奇跡的な晴れの日に訪れたこの場所は、天で衣を落としてもその音が聞こえてきそうなほどに空がひらけておりました。

抜けるような青空とはよくいったものです

昼間なのに宇宙とのつながりを感じるといいますか。。。

とにかく空とここの大地が遮るものがなくダイレクトにつながっているような抜け感、まさに筒抜けです。

このエリアだけがまさに別世界。

ご神事や祈祷を重ね続けてきたようなお祈りの雰囲気はなく、より大きな自然の力。

厳然とそこにあり、常に私たちに何かを与え続けてくれている無性の愛の発生源がこのお山だと思いました。

鳥居の奥に聳えるお山の重厚感よ
階段を上がったところに神籬斎場があります
鳥居のうちから見た景色。これもまた素晴らしいのです

磐座というよりもこの高千穂峰の存在自体がもう強大なエネルギー。

守るとか大事にするとか祈るとかそういうことをもう超えて、とにかく存在しているということ自体が尊いのです。

ここを霊山としている理由は、言葉で表現する必要がないほどに圧倒的だからなのでしょうね。

お山全体から放出されてくるエネルギーをアンテナとして集約して受け取れるような装置が、この結界を張られた磐座の神籬斎場なのでしょう。

とにかく圧倒されて、ぼんやりしていると誰かが祝詞をあげ始めました。

そこでようやく気づいて私も道具を出そうとバッグをガサゴソ。

ないっ😂!!

絶対にやるって言っておきながらなんとバス車内に置いてきてしまったのですね。

あほ〜〜!

ふとくまちゃんを見ると手に道具を持っています。

さすが師匠は違うわね。

不出来な生徒で申し訳ないです。

🌺「さすがでございます。どんなときも持っているんですね」

🐻「持ってないよ」

🌺「は?」

🐻「ほれ、そのへんに」

言われてみると、そこここにお山から飛んできたと思われる溶岩の小石がゴロゴロしているんです。

あ、確かに〜〜!これはよい!!

かなりプロセスは違うけど土が焼き固められているから似たようなもんだ。

ちょうどいい感じの小石を二つ選んで、私もぶじ道具をゲット。

🌺「これ持って帰っていいやつ?」

🐻「ダメ」

持って帰ってはいけないそうです。

神社にあるものは神社のものですからね。

おみくじとか授与品とか、あとは勝手に体についてきた葉っぱとか以外は、借りたらその場に返して帰りましょうね。

私は鳥居のところに置いて帰りました。

バスツアーに参加する全員が祝詞をとなえるために来たわけじゃないですし、そもそもそんなこと私言っていませんので、祝詞をとなえられる人たち以外はその場の空気を楽しんでいます。

高いところで、より高みを目指して肩車してもらう子。

空を仰いでなにかを感じとっている方々。

風に乗って飛んで行きたそうなこどもたち。

一つの場所であってもいろんなエネルギーの受け取り方がある。

でもみんなそれぞれに、もれなく気分爽快なかんじ。

みんなとこの場所に来られて、同じ空気を感じられて、そしてなによりみんなで同じ気持ちになれてよかった。

鳥居を出る時に、くまちゃんが私に言いました。

「ありがとうね、来させてくれて」

なにをおっしゃいます🥹

私のほうこそこんなところまで来てくれて、ありがとうございます。

とにもかくにも最高の天気で心も晴れ晴れ!

天の神様たちが大いなる一歩を踏み出したこの神聖な地で、私たちも新しい一歩を踏み出したような気がしたのでした。


つづく

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