小出祐介とその音楽表現装置であるベボベの失敗的成功
大学に入学した理由は言うまでもない。バンドがしたかったからである。
冒頭から恥も外聞もないが、18年間、より音楽的な外部環境に触れてこなかった片田舎の少年にとって1年間休みなく机に向かい続けるには、十分すぎる理由であった。
大学2年生の時、「おれの一番好きなバンド」を話す先輩に憧れ、名刺代わりに差し出す(実際は名刺ほど簡単に打ち明けられる代物でもないが)「俺の一番好きなバンド」を選定すべきという強迫観念に駆られていた。
恐らく、ギター初心者からのスタートで、2年目にして早速手練れの後輩たちが入ってきたこともあって、「おれのスタンス」的なものを見繕わなければ、という焦りがあったように思われる。
その結果、晴れて私の「おれの一番好きなバンド」第一号に選出されたバンド、ベースボールベアーの話をしたい。
選出理由はいくつかある。
まず、このバンドはレイヤーがある、ということに気が付いた。
ポップでキャッチーな曲、代名詞的なテーマも「青春」とか「爽やか甘酸っぱい」とかそういうのだし、何より愛称であるベボベの持つ手放しのキャッチーさ。べの後のボベ。
が、調べていけばいくほど、その実態は、全然キャッチーじゃなくて、キャッチーをやっているのだと、道化なのだということに気が付く。ファンに層がある。
そして実際のところ、これは容易に気が付く。
少しでもベボベを好きになったことがある人であればお察し、ファンになる=恐らくその風変りさには必達していると予想される。よって上記で述べていることは、私だけが気付いている隠れた魅力・特殊な見解ではなく、周知の事実である。が、まず前提としてここは押さえておかなければならないだろう。
そして、早々に
という先ほどの言葉をひっくり返すが、ここまでの話を踏まえて、選出理由は一つしかない。すみません。
本当の選出理由は、小出祐介が好きだからである。
さて、ややこしいのはここから、、、こうして断言することはあなた方のミスリードを誘うだろう。
私は以前このnoteでくるりについてつらつらと綴ったのだが、くるりは幸いなことにその良さについて、私と同レベルで語れる人間が検索すればそこら中にいる。当たり前に私よりも語れる人間も存在する。
ただ、ベボベはそうではない。
「ベボベの良さ」「ベボベのすごさ」みたいなものをSNS上にアップする人間はなぜかいない。そんな中アップされている文章や動画はいくつか見たことがあるが、どれも私の満足のいくレベルには到底達していない。これは慢心ではない。と言い切れるくらいに、浅瀬でアサリを密漁している人くらい浅い考察が蔓延っている。
音楽雑誌のインタビューも、優れているのは小出祐介側の発言であり、鋭く考察されたレビューはみたことがない(?)。
そして重要なのは、問題の核心は、小出祐介の凄まじさに気づいている人間は一定数いる。が、それをベボベと紐づけて論じられている文章は全くと言っていいほどない。
なぜなのか。それは明白である。
それは、小出祐介の凄まじさは、音楽的装置であるベボベにおいて「わかりにくく」表現されているから、と私は考えている。
小出祐介は、知る人ぞ知る「ディガー」である。しかし、例えば同じく偏愛家である岸田繁(くるり)の「鉄道」「便器」とか、そういうのではない。そういうのではないのだ。
実際彼が何を好きなのかは、私がそのチョイスのセンスを称賛していると誤認されると嫌なので各々で調べてもらいたいのだが、普通でもなく、かといって特殊かといわれるとそうではない。
ディガーであることは重要ではない。ディガーもまた、この世にごまんといる。ただ、往々にしてディガーは、その偏愛っぷりを表現する。もしくは表現として昇華する。
しかし小出祐介は、ディガーであるにも関わらず、それを拒むことがある。
ここで語られているエヴァの話含め、小出祐介には「あまりにも好きすぎて公の場で語ることが憚られる3つのトピック」というものが存在する。
それが、ナンバーガール・乙葉・新世紀エヴァンゲリオンの3つである。
この中で、重要な鍵を握っているのは最強のバンド、ナンバーガールである。
こちらも周知の事実であるが、初期(インディーズ時代)のベボベはナンバーガールに影響を受けていないとはどうしても言えないサウンドを展開していた。
こちら、先述の理由で公言はしていなくて、それが故に比較され、軽く叩かれたりもしていたっぽい。これは憶測にすぎないが、この経験は小出祐介にとっては少なからずその後のスタンスに影響を与えていると思う。
ちなみに、ベボベのファンはこの時代の曲と、メジャーデビュー後新呼吸以前くらいの曲を、両立して好きな人は多いと思うのだが、そのことを小出祐介はあんまりわかってないんじゃないかな、とも思っていたりする(3人体制移行後はどうかわからないが)。
話が膨らんで何が言いたいのかわかりにくくなってしまったかもしれないが、要は、相当なディガーでありながら、それを表現するもしくは表現として昇華することを積極的にしない、もっと言えばそれがあまり得意ではないというのが私の思う魅力なのである。ここに共感してくれる人はいるのだろうか。
言い換えれば、人々が小出祐介の凄まじさに気づいていながら、それがベボベと紐づけて論じられない理由が、私がベボベが好きな理由なのである。
そう、私はおこがましくも、自分と小出祐介を重ねているのである。
小出祐介を踏まえたベースボールベアーを、私と同じような視点で好きな人はいないものか、と、悩ましく思っている。
できれば、日本でXTCくらいまで評価されてほしい。