とげ
今こんな感じとはいえ、昔は僕も外で快活に遊ぶ子どもの内の一人だった。
特に仲の良かった幼馴染の家の近くにある、家の建てられる前の団地の空き地みたいなところで、置かれてる資材を駆使しながら、よく鬼ごっこやらケイドロやらやったものだ。ケイドロといえば、小学校6年生の時に学校で「泥棒」という表現が教育上いかがなものか、という理由でトムとジェリー、略してトムジェリと呼べと強制的に名称を変更させられたことがあったが、最近のなんでも規制したがる流れはあの時我々から始まったのかもしれない。
ともあれ、その建築資材、平たく言うと木材に上ったり下りたりしていると、よく手のひらや指に木のささくれが刺さって痛い思いをした。「憂鬱」という感情を味わったのは人生であれが初めてかもしれない。
とはいっても、それは刺さったその痛みではなく、その後の報告と、除去作業で発生する痛み、それを想像しての気おくれだった。被害者なのに言い出しづらいのは、子どもながらになんとも不条理だと感じていた。放っておいたら痛くなるし、血液に乗ってしまったら危ないし、かといって取り除くときの痛み、入り込んだり、中で折れてしまった時の絶望感、これが八方塞がりか、なんて、とげ抜きの過程で覚えた感情がその後の自分の感受性を豊かにしている面もあるように思えてくる。
除去作業を担っていたのは母だが、母は恐らくあまり手先は器用ではない。にもかかわらず判断が早く、「結局こういうのは針を使うのが早い」と言ってどこにあったか知れない針をおもむろに取り出して、とげの刺さっている部分の皮膚を細かく剥がそうとする。その行為の得も言われぬ恐怖感は、スマホを手にしてから「破傷風」を検索して知った。本能的に感じ取っていたらしい。三重苦である。
遠い昔の、当事者意識のかけらもない穏やかな気持ちでこの話をしたかったが、今ここに書き連ねている時点で残念ながらそうはならなかった。成人して、履きつぶしすぎた故にかかと部分が欠けてしまった下駄を使い続けていたために、欠けた下駄と反対の足の指が、座って足を組んでいる際に恐らくヒットしたのだろう。いい大人が情けない。
情けないのは、刺さったことではない。例によって刺さった後の感情である。お察しの通り、酷く動揺した僕はネットでむやみに自分の不安をあおり、仕事も手につかなくなってしまった。なんとまあ脆いのか。たかが足の指に木のささくれが刺さっただけなのに。
普段余裕綽々で、カランコロンと音を立てることで集まる周りの目線を楽しみながら近所を闊歩していた男を笑ってほしかった。切実に。そう思えば急所だらけで、体全体の大きさと比べれば本当に米粒程度の傷をつけられただけで脳が死を予感するのだから、危機管理が徹底している。
ともかく感じたことは、日々が奇跡の連続で成り立っているということと、急所以外の部分に刃物や銃弾を受けても簡単に動いたりする創作物の登場人物には、今後感情移入できるか怪しいということである。僕は人生そんなに甘くないよと、一足先に気づいた"先輩"のようであった。
あざます