私が私でいること、それは簡単でない道のり
なぜだか、言葉だけだと簡単なように聞こえる。
けれどそれはひどく難しいことで、
私はそれを始めてから4年が経ち、
今は5年目の看護師としてやっている。
2021年5月
体力がないから週3、午前中看護助手業務から始めた。
ナース服を着て、看護助手さんたちに混じり働く。
看護師免許を持っているも、時給は看護助手と同じ金額。
「免許持ってるのに可哀想」とも言われた。
でも私はすごく気が楽だった。
まだ、心の準備が整っていなかったから。
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私は「当たり前」がわからない。
「普通に」とか「一般的に」とか、どの人から見た”当たり前”で”普通”で”一般的”なのだろうか。
私が思う「当たり前」で動いて、
みんなが思う「当たり前」であったことがない。
今の感情に合う言葉を探しているうちに会話がどんどん進んで言おうと思っていたことは消えていくし、
人に身体を触れられてその感覚が数時間単位で残る。
低反発枕を初めて見た時、私の皮膚のようだと思った。
なんでみんなは、あんなにも瞬発力高く会話ができ満員電車に乗っても過呼吸にならないのか、全然わからなかった。
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2021年7月
異動となり、看護師業務をやるようになった。
コミュニケーションが下手なのは、変わりない。
ある看護師が清掃員を見て、言った。
「あの人、障害者雇用らしいよ」
障害者だから仕事ができない遅いというニュアンスの入った言葉だった。
私はただ、その言葉を聞き流すことしかできなかった。
2024年9月
1年も続くとは思っていなかった看護師、
不思議なことに5年目になった。
私は、発達障害を持つ看護師だ。
障害者手帳を持ってる。
先天的に社会的コミュニケーションに困難があるから発達障害と診断されている私は、
コミュニケーション能力の高さが求められる看護師をやっている。
ちょっと、意味がわからないと思う。
大丈夫、わたしもわかっていないから。
でもね、やれてる。
そういう現実がちゃんとあるの。
わたしが、わたしとして生きること。
生きていることがきっと誰かの勇気になるんだと思う。だって、わたし看護師やれるなんて思ってなかったから。
わたしがわたしであること、わたしのまま困っていること、わたしのまま褒めてもらえていること、それが誰かの勇気になって、ほんの少し社会を変えていくんだと思う。
わたしは、生きられているよ。
楽しく、生きれてるよ。
大丈夫だよ、きっと。