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Leave my planet
映画化されることも全く知らずに、朝井リョウさんの「正欲」を読み終えた。
昨日の夜のことだ。
そして今朝。感想が頭の中を巡りうるさくて落ち着かない。
何とか子どもを送り出したので、お茶を淹れ座って何か書き出してみようかと思った。
朝井リョウ「正欲」。
旦那が借りて来た本。
去年話題になったことも知らず、前情報は旦那からの一言二言のみで読み始めた。
今年は今のところ、本を15冊読んでいる。
エッセイが多かった為、最近読んだ中ではダントツに文字数が多かった。
面白くて無駄のない文章という印象。
疲れるまでいくらでも読み続けられた。
性癖におけるマイノリティな人たちのお話。
それも、人には理解され難い、想像の域の外側にいるような人たちの話。
まず、そんな登場人物のこれまでの人生や絶望を作者が本人達の視点で書けていることに驚いた。
書けているなんてとても偉そうに言ってしまったが、経験して生きてきた人のそれとしか思えない。
本人なのかとすら思った。
皆とは根本から違う。
自分という存在は間違っている。
話しても理解されることはない。
誰とも分かり合えない。
誰にも自分という人間の中身を明かすことのないまま一生を終える。
そんな思いを抱えたまま生きる人生を、私はここまで深く考えてみたことなんて無かった。
でも、「こんな人生」を生きる人は確かにいるのだ。
昔もいたし、今もいる。
すぐ隣にいるかもしれない。
こだまさんの「夫のちんぽが入らない」を読んだ時、密かに誓ったことがある。
人の表には出ていない膨大な背景を、その人が自分で積み重ねてきた経験故の考えを、否定せずに慮る努力をしたい。
その時は、そこまでだった。
今回は、想像できない背景や世界があることをまず知った。
分からないことが沢山ある。
博識で、頭が柔軟で、想像力に富んだ人でも。
理解しようと努力しても、理解できない世界もある。
聞けば、見れば、知れば理解できることが前提と思っているところから降りる。
分からないことがあることに気づく。
そんなスタートに立たせてもらったような気がする。
そして、それだけでも自分にとっては大きな進歩だと思う。
色んな人がいる。
気の合う人、合わない人。
優しくしてくれても、オープンに何でも話してくれても、それは一部分。
見えない大部分、わざわざ口に出していない考えが山ほどあるのだろうと思う。
思えば思う程、
「自分の考えを押し付けないようにしよう。」
「相手の意見なのだから、そこに口は挟まないようにしよう。」
と、何も言えなくなってしまう。
そして、私も「何考えてるのかよく分からない奴」と、ある人達からは思われているかもしれない。
あまり話さない人ほど、頭の中に言葉や思考がパンパンに詰まっていて今にも破裂しそうだということもあるだろう。
私は、そんな時もあれば全く何も考えてない時もある。
皆はどうなのだろうか。
人は一人一人、背景に自分の宇宙を抱えているとイメージする。
その宇宙を少しずつ誰かと分け合い、広げたり、似ているところに安心したりする。
誰とも分け合えず、一人で抱えきれなくなった時、その宇宙に押し潰されてしまうのかもしれない。
分け合える相手が見つかることは、幸せなことなのだろう。
インターネットのお陰で、そういう点では救われる人は増えたのだろう。
そんなぼんやりとしたイメージを、より緻密に、焦点を合わせたりあえてぼかしたりしながら、目を背けさせずに直視させられた。
そんな本でした。
読めて良かった。