
所詮人間なんて
…と思うことで救われるものがある。
例えば、己の愚かさ、浅はかさに打ちのめされそうになったとき。
同じ人間に生まれたあなたも、心当たりがあるだろう。性格や性質は一生ついて回るもので、そう簡単には直せない。自分が自分として存在する限りは。
己の心の汚さを自覚する度に心が擦り減る。こんなの、できる限り味わいたくない。
しかし、他人と向き合うことは、自分と向き合うということ。人と関わらなければ生きていけないこの世の中、恨み辛み羨み僻み嫉み、醜い感情なんていくらでも湧いてくる。もう救われないのか僕は、なんて思ってしまう。
そこで、人間に生まれた以上もう仕方がないんだと仮定してやると、いくらか気持ちが楽になる。
この諦めは決してネガティブな発想ではない。むしろ、事実を潔く認めることで精神安定を図っているのだ。
僕は少し前まで、俗に言う鬱映画や鬱小説を積極的に手に取っていた。これはきっと自我を保つための防衛本能なのだろう。
最低なのが僕だけじゃなくて良かった。こうやって、下を見て安心する醜い心理はまさしく人間の特徴そのものである。
最近鑑賞したのは、
・あんのこと
・海辺のカフカ(上)(下)
鬱要素の強さであれば、恐らく『あんのこと』に軍配が上がるだろうが、個人的には『海辺のカフカ』がキツかった。読んで1ヶ月経ってもまだ引きずっている。
愛してはいけない人に惹かれること、その罪悪感や自らへの嫌悪。読書でここまで気分が悪くなったことは無い。
※登場人物への感情移入によって抱いた感想であり、作品を貶す意図は無いので何卒容赦して頂きたい。
村上作品に触れるのは初めてだったため、初心者におすすめだと紹介されている書籍から慎重に選んだ。それでも、世界観の独特さに何度か置いていかれそうになった。一応は読み切ったが、解釈が正しいかは分からない。
他の作品も読んでみたいところだが、カフカのせいでお腹がいっぱいだ。『ノルウェイの森』か『騎士団長殺し』が現在の有力候補かな。
鬱作品は心の薬になり得るが、劇薬と同じで摂取しすぎるとやられてしまう。用法用量を間違えると憂鬱が加速し、余計にしんどくなる。あなたも気をつけておいて欲しい。
おまけ:前述した鬱作品について
そもそも、何をもって鬱作品とカテゴライズするのかは議論の余地がある。辛さ苦しさを感じるシチュエーションは、人によって差異があるためだ。今回僕が鬱作品だとしたものが、あなたにとってはそうじゃないかもしれない。気を悪くされた場合は申し訳ない。