【第35話】進路決めで歴然となった姉妹の”差”
あれもそう、これもそう、思えば私と妹には”差”があった。
*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。
*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。
妹は私にとって異母妹になる。妹の母、つまり私にとっての継母は、無意識に妹と私を”分けて”考えていたように思う。
妹は何をしなくとも可愛がられて、門限や友達関係にも口出しされることもなく、友達とのお泊りもバイトも良くて、習い事もさせられていた。それに、困ったら助けてあげたくなるような愛嬌が妹にはある。こういった”差”は気になっていたが、彼女よりも6歳年上の私は、妹のためにお姉ちゃんが”我慢”するのは当たり前だと言い聞かせて、見て見ぬフリをしてきた。
姉妹の”差”が歴然となったのは、進路の時だった。
私が大学に行きたいと言った時、両親は聞く耳を持たず、一緒に考えることもなく、「そんな金あるか!アホは勉強してもムダや」と怒鳴りつけてきた。何となくそう言われるのは予想していたし、お金の余裕がないことも知っていたから、仕方ないと諦めはついた。そして私は就職した。
それから数年が経ち、今度は妹が進路を決める時期に差し掛かった時、妹も進学を選んだ。
正直、その時の我が家の経済状況はさらに悪化していて、両親も「お金がない」と毎日喧嘩していた。だから、継母から妹の進路の話を聞かされた時は、妹も進学できないやろうなと決めつけていた。
「マナが〇〇大学を受験したいんやって」
「え!それって有名大学やん!うちの家にそんなお金の余裕あるん?!」
「奨学金とかもあるみたいやし、お金は心配いらなさそう。私が出すのは、マナの行きたい本命大学と滑り止めの受験料。あとは交通費と、家決める時のお金くらいかな。」
「…え?待ってよ。私のときは頭ごなしにアカンって言って、マナの進学には一緒に考えてあげんの?それ、私は納得いかんねんけど。」
「え?だって、あんたアホやん。期待なんてしてなかったからな〜」
継母は台所の換気扇の下でタバコを吸って、鼻で笑っていた。そして、その話題は終わり、とでも言うかのようにタバコの火を消して台所から出ていった。
取り残された私は呆然として、その場から動けないでいた。
キタイシテイナカッタ?それは「お前に金を出す価値なんてないわ」と言われているように感じた。たしかに、私は数学7点で、他の教科も赤点ギリギリやったよ。妹は勉強もできて良い高校に入ったから期待されるのはわかる。それに私が見ていないところで、妹自身が進学について親を説得して、確固たる将来の目標があったから、進学を許可されたのかもしれない。それにしても、私が進学を諦めたことは”当然”だったのか?
今まで見ないようにしていた”差”が、「あれも、これも」と頭の中を駆け巡った。
同時に、大好きな妹のことも一瞬だけ「アイツは何しても許されて、愛される。私がほしいものを全部、簡単に持っていく」と、腹の底から黒い感情が溢れ出してきたのを覚えている。
私は親が遊んだらアカンという友達とは遊ばなかったし、兄弟の面倒を見て、親の手伝いもして、愚痴を聞いて、社会人になってからは生活費以外のお金も家に入れても、親に認めてもらえない。ずっと親に愛されるために”良い子”でいた自分がみじめでバカらしくなった。
結局、親は妹にしか目を向けていなかったんや。なんて報われない努力をしてきたんやろうか。
それからは、妹が継母に何かを相談する度、継母が妹を応援している姿を遠目から見る度、そこに自分が入ることは出来ないと、寂しさと嫉妬が入り混じった感情を抱くようになった。
「あ〜。私は親を頼れないし、甘えられない。自分のことは自分でどうにかせんとアカンねや」と、見せつけられた瞬間でもあったのだ。
ちなみに妹は努力した結果、有名大学に合格。私も心から祝福したし、これからの彼女の人生も実り多いものであることを願っている。