2人の母を見て、「食べることは生きること」に足りなかったもの
子供の頃、「食」は苦痛でしかなかった。結婚してからは、「楽しく食べるのは、生きていると実感することなんだな〜」としみじみ思う。
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私には2人の母がいた。
産みのママ、父親が再婚して継母さんになった人。
継母さんは料理上手…にならざるを得なかった。
男尊女卑が当たり前で偏屈な父親は、家事は一切しない(わりにケチをつける)。そこに当時育ち盛りの高校生だった兄、小学6年生の私、小学校に入学したばかりの妹と3歳の弟がいた。
継母は私たちの健康と、口うるさい父のために頑張ってくれたのだと思う。お弁当で使う冷凍食品は一品だけ。その他は毎朝手作りで、栄養バランスを考えた彩り豊かなお弁当を渡してくれた。
夜ご飯は毎日、3品以上が食卓に並べられていた。私は学校が終わると、晩ごはんを楽しみにしながら家路を急ぐ。玄関前ですでに、醤油や出汁の匂いが漂ってくる。それだけでお腹がギュルルと鳴っていた。
彼女の料理は、定食屋さんができるほど美味しかった。それなのに、父が「美味しい」と言うのは、1年に数回だけ。
「食べることは生きることなんやで」
中学生の時にダイエットで、ご飯を食べない方法を取ろうとした時にそう言われた。ちゃんと栄養バランスの取れた食事、適度な運動、しっかり睡眠をとったら太らへん。だから食べなさい、とのこと。しっかりした理由は教えてもらえてないから根拠は無さそうやけど、彼女なりの信念だったような気がする。今思えば、あのバッタモン家族の中で一番いい教訓だったかもしれない。
食べるのが好きなのに、その頃から「食」が苦痛でしかなかった。
テレビ代わりに聞いていたのは両親が罵り合う声。私の隣に座る父の平手がたまに頭に飛んでくる。八つ当たりってやつ。止めてほしい。箸が喉に刺さったらどないすんねん。兄はグレて、家にほとんど帰って来ない。弟と妹は気配を消して、ご飯をジッと見つめて口をもぐもぐ動かす。
美味しいご飯やのに味がしいひんな。
外食でも、自分たちの好きな物を食べられる確率は少なかった。父の好きな物を食べさせられて、「美味しい」と笑顔で言わないと怒られる。自分の好きな物すら、分からなくなっていた。
そんな家族の中で「普通」にご飯を食べ続けることができたのは、忍者のように気配を消す、耳にエアシャッターを下ろせるようになったからだろうな。
私が20代前半の時、実母が余命1年と宣告。継母が言っていた「食べることは生きること」の意味を、私なりに考えるキッカケになった。
お見舞いに行く度にやせ細り、弱々しくなっていく実母。ろうそくの火が今にも消えそうな感じだった。病気が診断された直後の彼女は、食べたいものを食べていたが、最後の方はチューブで栄養を取っていた。
病気になったら食べたくても食べられない。
「食べたい」とすら思えなくなってしまうのかもしれない。
「食べたい」と思うことは「生きたい」と同じ意味なんじゃないか?
それからの私はもはや、生命維持のため「だけ」に食べた。やせ細ってチューブに繋がれた実母を思い出し、食べることに罪悪感を覚えた時もある。失恋しても、友達に仲間外れにされても、就職の面接に落ちても、食べた。食べながら、嫌な感情を飲み込んでたのかもしれない。
自分の食べ方が間違っていたと知るのは、結婚してから。食べ物に味がして「美味しい」と思えるようになった。
まず食卓が平和。怒鳴られない、殴られない。リラックスして笑っている。ご飯を流し込まずに、しっかり味わって食べることができる。これまで嫌いだと思っていた食べ物は、過去の思い出のせいで「嫌い」と思い込んでいただけと知った。
外食では好きなものを食べていい、と言ってくれる旦那さん。むしろ、私が食べたい物のお店にしようと言ってくれる。最初は戸惑ってしまい、「え?そんなんええの?私のワガママちゃう?」と何度も聞いた。今では毎週末、旦那さんと好きな物をオーダーしている。そして一緒に「美味しい!」と笑う時間が幸せ。
食べることってほんまは楽しいんやな。心臓のあたりが、ポワンと温かくなる。生命維持のためだけに食べてきたけど、当時の私は「生きている」とは言えなかったな。
「生き物の命を頂くんやから、味わって残さず食べるのが、命への礼儀」
みたいなことを旦那さんから教わった。他の生き物の命によって生かされている私たち。食べるために食べてきた私は、他の命に感謝もしてなかった。今は「いただきます」に込める意味も当時とは違う。
ママ、継母さん。食べることは生きること、に足りないものがあったよ。
「楽しく」食べることは、「生きている」と実感することなんちゃうかな。