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私を虐待した父を恨んではいないけど、許せるかも分からない

何も知らない子供の時は、父が大好きだった。

私には兄が3人いて、4人目に女の子の私が生まれたから父や兄がたくさん可愛がってくれた記憶もある。おむつ一枚でハイハイして、いつも私は父の後を追いかけていたそう。

子守唄はジャズだった。父に抱っこされて眠る、「ママに内緒やで」と買ってくれたお菓子、動物のドキュメンタリーを見て一緒に泣いた、絵本を読んでくれた、私の好みのスイーツを食べに行って「美味しい〜!」って言った時に、コーヒーを啜り「そうか」と微笑む父。普段鬼のような顔して怒るのが嘘みたい。

裁縫や絵を描くことを教えてくれた。「人に何かをしてもらったら手書きの文字や言葉で気持ちを伝えなさい」と教えてくれたのも父だった。

父は自営業だった。彼を慕って来る人たちもたくさんいて、楽しそうに商売をする父の後ろ姿に憧れて、接客の仕事に就いた。人の良さがにじみ出るような笑顔、実年齢より若く見えてカッコ良かった父が、あの時は自慢だった。

こうして優しい思い出だってたくさんある…のに、私の記憶の父はいつも怒っている。

父が短気なのも、臆病なのも、不器用な愛情で子供を思うのも、父の一部。それらをコントロールできなかったから、父の暴力や女性を卑下する行動が悪化したのだと思う。

家族とは嫌な思い出の方が多いのだけど、優しい思い出もちゃんと心に残しておこう。辛い思い出だけを残すと、それこそ恨みしか残らない気がする。

今はもう家族が側にいないのに、自分で自分を不幸にする必要なんて無い。

過去は水に流して、何事もなかったかのように彼らと笑って過ごすことはできない。でも辛い思い出を否定しないのと同じで、優しい思い出があったことも事実。父と過ごした穏やかな時間”だけ”は「ちゃんと愛してもらってた」って実感できる。

「親に愛されなかった」より、「今はこんなに愛せる人がいる」と言える方が、自分の辛かった記憶や過去に区切りをつけることができる。

私は父を許しているのかどうかも分からない。

白黒ハッキリつけなくて良いこともあるのかもしれない。謝ってほしいとか、やったことを認めてほしいとも思わない。それぞれが平穏に、お互いに関わらずに生きて、元気でいてくれたらそれで良い。


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Mai🍁いとをかしな日常
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