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虐待を受けていた私の頭の中と幸せの見つけ方

私は5年前まで心の成長が止まっていて、感情の表し方が難しかったです。

両親から暴言を浴びせられ、暴力を目の当たりにしたからそうなったのもあると思います。

今日は、虐待を受けながら考えていたことについて書いてみます。そして、今ある幸せに向かって自分なりにしたこともまとめました。

※暗くて重いお話を含みますので、苦手な人はここでストップして下さい。
トラウマにまだ向き合えなくて、辛い状況から幸せになった話も知りたくないという人もここでストップして下さい。少々厳しいことも書いてあります。

自分と同じ状況の人が幸せになった話を見るのは辛いと思うので、自分が前に進めそうだと、頑張って向き合ってみたいと思うときに、この記事を思い出して読んで下さると嬉しいです。



*虐待を受けていた私の頭の中*

毒親育ち、虐待を受けた・受けている人みんなに共通するかは分かりません。少なくとも私の頭の中について書いていますので、それを踏まえて読んで下さいね。

当時の私は、暗くて長いトンネルにいる気分でした。光の当たらない、出口も進んでいる方向も分からない状態でした。「私」はいない。心の中にいるのは、常に両親と他人。自分の体なのに、誰かの体を借りているような感じがしました。

・自己否定の塊

虐待を受けた人は自己肯定感が低くなると聞きますが、あれは私の中では自分を卑下する言葉を使ったり、自分を傷つけたりして、「ほら。やっぱり私は価値のない人間なんだ」って確認することでした。

生まれたときから側にいて、同じ家に住んでいる家族から認めてもらえない、褒めてもらえないとなると、誰かに褒めてもらっても「親の言うことが正しいから、私が価値ある人間とは思えない」となるのです。かなり変やし鬱陶しいなと自分でも思いますが、何年もほぼ毎日のように罵倒されると感覚が麻痺してきます。

・自分さえ我慢すればいい

 「私が我慢すればいいんやろ?!」
 「お前が全部悪い。女は黙っとけ」

これが両親の喧嘩の常套句。家では月に何回も、絶叫にも近い罵声が聞こえていたのです。高校生くらいの時は彼らの言い合いを聞いて、何も解決しとらへんがな。アホか。と思っていました。案の定、何回も同じことで喧嘩する彼らを見て、「コントか!」と呆れたこともありました。

冷めた目で見聞きしていた私も恋愛するようになると、継母と同じことを口走っていました。そして相手の男性も父のように舌打ちするか、激怒するか無視でした。

喧嘩するのも、理解してもらえないのも辛いけど、その気持ちの裏側にはいつも「寂しい」、「理解して」という感情がありました。でもそれをどうやって言葉にしていいのか分からず、「私が我慢するわ!」という言葉で自分から相手を遠ざけていたんです。

・「いつか何とかなる」

私も家族も、父の怒りに反応せずに黙ってやり過ごしたこともあります。「いつか何とかなる。黙っていれば父は変わってくれる」と思っていました。でも変わることはなく、父は手が付けられない状態にまで発展。嫌なことに目を背けて黙っていれば、結婚すれば…で良くなる状況はありません。それが分からず、私は引き寄せの法則という”宗教”に夢中となりました。

・トラウマ

たまにあるフラッシュバック。これは殴られた記憶、暴言を吐かれた言葉を「ふと」した瞬間に目の前で再現するような感覚が起きます。私はよく親の夢を見ます。笑っている両親が出てくることもありますが、大抵は怒って殴られるか、耳を塞ぎたくなるような言葉を浴びせられます。泣きながら目を覚ますこともあります。エッセイを書くときには、印象的なエピソードを思い出そうとすると、手の震えが止まりません。見知らぬ男性が怒る声、喧嘩する声で無意識に息を止めて、体が強張ります。

・反対意見は自分の「性格」を批判されているように感じる

言葉を言葉のまま受け取ってしまうのです。旦那さんは自分の意見をしっかり持っている人なので、意見交換して「Maiの意見も分かるけど、オレはそうは思わへんな〜。」と言われると、もう何も考えられなくなって「出過ぎたマネしたな…」と落ち込みます。意見への反対なのに、自分自身を否定された気がしてしまうのです。厄介。

・自分を「可哀想」と思って安心しておきたい

悲しい過去にすがって、周りに構ってほしいからネガティブなことを言っていました。変化が怖いのです。変化に対応する方法が分からなかったから。旦那さんは「可哀想な自分がいなくなったら、自分が存在できない、構ってもらえないと思っているんちゃう?」と言います。実際、自分が可哀想と思うのを止めてからは、生きやすくなり、自分で自分を必要としています。

・「自分」がないから「他人」を何より最優先する

「自分がどうしたいかより、他人が私にどうしてほしいか」で物事を決めていました。これで何度、流されたことか。

家の中では父の言うことが絶対だったため、「俺は間違ってない。正しいんやから、お前らは俺の言うことを聞け。」と言われて育ちました。女と子供をペットみたいに扱うのは、間違いやけどね。たまにの優しさだけで自分の悪行を無かったことにはできないよ。

私のやることに口出しして、友達や彼氏まで制限。だから私は何がしたいのか、何が好きなのかが、最近まで分からなかったのです。何でも「あなたはどうしたい?」と聞いて、私はそれに合わせていました。決してわざとじゃないけど、人に合わせるのが当たり前で自分の意見は誰も聞きたがらないと思っていたのです。

・察してほしい、かまってほしい、認めてほしい

とにかく人に大事にしてほしいと思っていました。見下したり、罵倒したり、ないがしろにされたりするのではなく、赤ちゃんを撫でるように撫でてほしいし、やりたいことを応援してほしいし、辛いときには抱きしめてくれるような人がいてほしかった。

人一倍、孤独が嫌いでした。認めてほしいから誰かのために頑張るし、かまってほしいから思ってもないことを言うし、察してもらえる=相手の思い をはかっていました。

虐待を受けた私は「こう思っているねん」と知ってほしいけれど、「気を使って理解してよね!私ってすごく可哀想なの。えーん」と私は思いません。知ったあとでどう思うのかは、その人に委ねています。

*自分の幸せのために私がしたこと*

そんな家庭から抜け出した人、抜け出しそうな人に効果があるかもしれません。バッタモン家族を脱退から6年かけて、私が改善したことです。中には進行形のものもあります。

・自分の求めるものと未来を考える

私はバッタモン家族にいるときから、父のような男性とは何があっても結婚しない、継母のようにヒステリックになって、陰口で憂さ晴らしするような女性にはならないと決めていました。

どんな家族なら私は幸せになれるのか?

行き着いたのは、私を一途に思ってくれて、人に敬意を払い、私の心にいつも寄り添ってくれる人。私自身も私といる人が明るくなるような、笑顔になれるような女性になろうと決めて、行動しました。その結果、幸せな結婚をして毎日愛されていると実感しています。

・「可哀想」な自分を認めるけど浸らない

「自分が可哀想」、「過去の辛いこと」を認めるけど、そこに浸らないようにします。浸ると、自分に酔ってしまって悲劇のヒロインになりがちです。そこに私の望む幸せはないため、1日ずーんと落ち込んだら、楽しいことに意識を向けます。何でもメリハリ!

・言葉使いに気をつける

”言霊”ってホンマですよ。「どうせ無理」、「自分なんて…」と言っていると、無気力になるし、自分が本当にダメ人間に思えてきます。親から離れたのに、彼らの酷い言葉を自分に使っていては呪縛から抜け出せないです。

「やってみな分からんし、ちょっと頑張ってみよう」、「私にしかできひんこともある」と思うようにしています。そうすると重い腰が少し軽くなって、最初の一歩が踏み出せます。それで、できたこと・できるようになったことは数えていくこと。それをノートに記録したり、人に話したり、SNSに書いたりするのも効果があります。

・思いは口にする

時間の無駄なので察してもらうことは止めました。「私はここに行きたいから一緒に行こう!」と言うようにしていますし、旦那さんに気持ちを言うときも「これが嫌やったから、こうして欲しかった」と伝えます。それだけで私はかなり楽になりましたし、結婚して2年経ちますが、旦那さんと一度も喧嘩をしていません。喧嘩するより仲良しでいたいです。

・フラッシュバックには、向き合う

過去の出来事はなかったことにできません。今なら「んま、あのバッタモン家族め〜!」って冗談で言えるようになりました。それでもエッセイを書くときには、昨日のことのように辛い出来事を思い出して震えて、涙が止まらないこともあります。

そういう時には向き合って泣いてから、「もう今は大丈夫。私を傷つける人はいない。」と自分をさすってあげます。もしくは旦那さんに抱擁してもらって背中を撫でてもらいます。フラッシュバックや辛い出来事とは多分、一生向き合っていかないといけないと思います。簡単に忘れられる出来事ではないから。


・自分を傷つけそうなら、ちょっと待って

自分の心や体を傷つけそうになったら、意識を逸らすようにします。私なら本を読むか寝る。食欲でも、食べたのにすぐお腹減ることがありますよね。でもそれは一時的なもので、少し時間を置けばおさまることもあって、食べ過ぎを防げます。それと似ていて、意識を逸らすだけで気分がマシになることもあります。



私は自分と人を頼って、自分の幸せに向かっていますが、人によって心の傷の深さは違います。専門家の助けが必要な人もいます。自分が人にどうしてもらいたいか、どうなったら救われるのかを考えてから、色んな方法を試すことをお勧めします。

でもね、その後の自分の幸せや未来は、自分の考え方や行動でどうにかするしかないのです。人や専門家は手助けをしてくれますが、私たちの心や人生の代わりはできません。

可哀想な自分でいたいならそのままでも、もちろん良いと思います。それも一つの選択肢です。

でも自分を大事にしてくれるパートナーがほしい、望む自分になるなら、考えて行動するしかないです。引き寄せの法則「願って信じていれば叶う」で、バッタモン家族から抜け出したいと願っていましたが、変化はありませんでした。結局、受け身ではチャンスは逃げていくし、目標は叶えられません。

こうして、ようやく暗くて長いトンネルを抜け出して、私の心は再び成長しています。

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Mai🍁いとをかしな日常
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