「好き」を大事にしたい
私の好きなものはゲーム(主にあつ森)、アニメや海外ドラマ、読書、歴史だ。好きなものができて嬉しい。それらに熱中して自分の心が解放されている気分になる。
私は普段、心に制限をかけている。
noteで文章を書く時、Twitterで何かをつぶやく時、人と話す時。好きなものを隠してはいないけど、それについて話す時は熱量をかなり抑えている。
普通に話すだけ、書くだけでも「人に引かれないだろうか」「人に嫌われないだろうか」ばかり考えている(ほぼ無意識に)。
自分の好きなものを話したところで、誰もおもしろくないだろうと決めつけてしまう。そもそも、 好きなものについて語る時は語彙力が後退するから、結局自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまう。
ひとりで好きなことをしている時だけは、自分が何でもできる気がする。
アニメを観てる時は主人公になった気分だし、私もこんな物語を書いてみたいとも思うし、Notionで好きなアニメのページを作る時は作りたい項目がたくさん溢れてくるし、アニソンを聞いてるとアニメを思い出して泣きそうになるし、ゲームで自分の想像したものを表現できると達成感を覚える。
熱い気持ちが溢れすぎると、ノートには私は何が好きなのかな。どんなことに興味があるのかな。なんでこれを観て胸がギュッとなるのかを書きなぐる。ただ、この時も語彙を失っている。
「わぁ!私はこの〇〇、めっちゃ好きやわ!」とワクワクがドバドバと溢れてくる。※〇〇にはアニメ、歌やゲームタイトルが入る
そうやって、自分の「好き!」だけに集中=自分の心とも対話している感じがして解放感がある。
親しい人の前でしか出さない熱量だから、「変だと思われへんかな」「自分の好きなものがこれではいけないかな」と考えなくていい。
家庭の事情で今まで好きなもの、趣味を持ったことがなくて、私の毎日は本当に退屈だった。あの時を思うと、今は毎日が充実して楽しい。人が求めることより、自分が求めることをしていいのだから。
心の制限を外すには時間が必要かもしれないし、もしくは防衛本能として制限を外したくないのかもしれない。今集中すべきは、自分の好きを通して、自分が何を思うかを常に考えていくことだと思う。
なんか今日は言葉や文章がまとまらないや。納得がいかないけど、時間が迫っていたためこれで出すことにした。