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17年振りに打席に立ったら寿司を握っていた話

 「君はもっと打席に立ったほうがいいね」

 市ヶ谷の味噌ラーメン屋・くるりに行った時だったと思う。20代の半ばごろ勤めていた会社の営業さんにこう言われた。当時はあまりピンとこなかったけれど、ずっと頭には残っていて、たまに思い出したりしていた。でもその程度だった。

 当時の僕は文章を書く仕事がしたくて、大学の文学部を出た後、1年間ライティング系の専門学校に行って、市ヶ谷にある会社にバイトで入社し、広告の文章を書かせてもらっていた。

 広告の文章を書かせてもらった、というと聞こえがいいけれど、書いていたのは求人広告。ちょうどそのころはWEB求人広告の黎明期だった。今では信じられないかもしれないが、求人は新聞や有料の求人雑誌で見るものだったのだ。
 「駅近・高収入・待遇応相談」
 暗号のような紙面広告に比べて、WEB広告の文字数は無限に近い。
 紙のころは過去の広告の焼き直しがメインだから営業さんが片手間に対応できたけれど、WEBではそういうわけにはいかない。修正だって文字数や構成など修正箇所が紙の比ではないし、新規ならなおさらだ。それで専門の制作スタッフが必要になっていたのだ。

 「広告って求人広告だよ⁉」
 広告記事が書けるとうきうきしていた僕に、先輩はこう言った。文字数は増えても結局のところ書くことは「駅近・高収入!」。他の広告や記事と同列に考えることなんて恥ずかしくてできない、そんな意味だ。
 僕が入社したとき、同じように広告の制作専門だったスタッフはほかに3人いたけれど、誰も自分のことをライターなんて思っていなかったし、すぐに僕もそんな気持ちになった。

 今ならわかる。どんな仕事だって学ぶところはたくさんあるし、工夫もできる。真剣に取り組むことで新しい発見だってあるはずだ。やる気があれば仕事以外の場所で創作に励んだっていい。

 結局、僕はその会社を3年勤めて辞め、制作とはかなり遠い、堅い仕事についた。僕に助言してくれた営業さんは僕よりも早く辞め、制作担当の同僚たちも前後して辞めた。そしてその会社自体なくなった。


 今の会社に勤めて15年近くになる。結婚して子供ができて、地方に住んでいるからというのもあるけど、家も車も持った。今の暮らしに不満があるわけではないけれど、たまに、なんというか、気持ちがうずく時がある。表現してみたい、そんな大げさなことではないけれど、何か新しいことをしてみたいような、そんな気持ち。

 それもあってか、35歳を過ぎた頃から、こんな風に考えるようになった。

「やりたいと思ったら、やってみたほうがいいな」

 そう思うようになってから、できるだけ「Yes or No」の選択肢は「Yes」で答えるように心がけてきた。無理のない範囲で。

 少し前に仕事がらみのセミナーで知り合った人たちのランニングチームに誘ってもらって、思い切って参加してみた。それ以来、大会で出会ったら声を掛け合ったり、リレーマラソンに一緒に出たり、今はできないけど年に数回、飲み会をしたりと世界が広がっていった。

 今年になってからは、ピアノが弾けるようになりたくて、キーボードを買った。中断した時期もあったけど、なるべく毎日、コツコツ弾いてる。


 義母からもらっていた出刃包丁を使って魚もさばくようになった。

アジと出刃包丁
初めて自分が捌いたアジはなめろうになった


 @narumiさんのnoteを見て、寿司を握ってみた。


 そしてnoteを初めて書いている。ひさしぶりに自分の文章を書く気持ちよさと歯がゆさを同時に感じてる。これが割と心地いい。

 球が飛んできていたら、打席に立ってスイングしてみる。どうしたって最初はへたくそだろうけど、打席に立たなきゃ何も始まらない。人生も折り返し地点くらいに差し掛かってると、なかなか興味の球なんて飛んでこない。

 あと10年たったら なんでもできそうな気がするって でもやっぱりそんなのウソかもしれないけど、ちょっとくらいはできることが増えていたらうれしい。

 以上、初めてのnoteでした。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


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