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できないなら、笑え。

かなり最近まで、つまりだいぶ大人になるまで、とてもよく見る夢があった。

座っているのは教室だ。黒板の横に時間割が貼ってある。それを見て私は思うのだ。

「ああ……次、体育の時間だあ……」

子どもの頃、とにかく体育が嫌いだった。それから、移動することも。一度座ったら、極力、そこから動きたくなかった。いまから立ち上がり、着てる衣服を着替えて、わざわざ校庭や体育館に移動して、なにをするのかって言ったら、よりによって身体を動かすのだ。

ゆかいなことが、何ひとつない。

「身体を動かす気持ちよさ」とかがよくわからない。運動会は、速く走れる子たちの祝祭だ。お勉強はそれなりにごまかすことができるけれど、身体を動かすことばかりは、360度でんぐり返ったって、まるでごまかしが効かない。どんなに頑張っても速く走れない。どんなに力んだところで跳び箱は跳べない。

男子も、女子も、運動ができる子たちが、なんだかモテる気がする。

なんだかなあーって思いながら、その日、私は体育館から外を見ていた。体育の時間を見学してたのかな、ちょっとよく覚えていない。私の通っていた小学校は男女別クラスで、ちょうど男子クラスが校庭で、50m走だか何だかのタイム測定をしていた。その時、むーーーっちゃ一生懸命に、体育館側へ向かって走ってくる男子がいた。でも彼は明らかに、私と同類項だ、走っても走っても速度は上がらない。

ゴールを切った彼に、私は体育館から声をかけた。「ずいぶん必死だなあー!」だか、「なかなか伸びないねえー!」だか、とにかく彼の現状についての不躾なツッコミだった。なんだよ!!って怒るかと思ったら、でも彼はその場に立ち止まって、のははははは!と、のけぞって笑ったのだ。

自分の「できなさ」を指摘されて、怒るでも反論するでもなく、「馬鹿笑いする」という選択肢を示してくれたのは彼だ。

思えば、私はその方法で、これまでの人生の大半を渡り歩いてきた気がする。今だって、なにか窮地に陥るたびに、とにかく「笑い」の種を探す。「ここ笑える!!」を見つけたらもう上機嫌である。誰かに話すか、つぶやくか、何らかの方法で笑いを勝ち得て、悦に入る。

人生、思い通りにならないことばかりだ。毎日の大半は我慢でできている。でも、あの、のけぞり笑いを思い出せば。身の回りに起こるどんなことだって、何とかなるように思うのだ。(2019/12/10)

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